二十歳のLOVE

 昨年末、横浜青少年センターでの『歓喜の歌』の大千秋楽。
 カーテンコールで、あいさつした時

 このセンターの舞台で、厚木高校時代、高校演劇県大会で岡森や六角と処女作を上演したのが、今の私たちにつながっている、とスピーチした。

 のだが、その時に、私は、三十年前に、三十年前にと連呼したらしい。
 
 実際は、四十年前(正確には三十九年前)が正しい。
 30年前は、すでに今の劇団の活動期である。

 三十年前でも、十分にひと昔話的なので、何の違和感もその場に起きてはいなかったが、あとでいろんな人に指摘された。またドサクサ紛れにサバ読んだね、と。

 いやいや、まったく自分でも気付いてなかった。
 四十年てのが、むしろ突飛すぎる響きだ。だって

 40年前て、いつだ!

 そんな昔から生きてるのか、俺は。
 しかも、岡森や、六角と演劇やったってどういうことよ?

 諸君、時というのは、恐ろしいものだよ。
 こんな私たちのことさえ、半世紀もの年月を、軽々と運んでこんなとこまで連れて来てしまう。
 
 あの時の我々が、お前らそのまま40年後まで行くから、と言われても、何のことやら意味不明の、遠い未来だったはずなのに……
 
 年寄りの人生には、SFではない、かなりリアルなタイムマシンの物語がある。

 そんな時の流れを噛みしめるイベントが間もなく、もう一つ開幕する。

 扉座研究所卒業公演 「lovelovelove20」

 ついに二十歳だよ。

 第一期に二十歳だった若者が今は四十才になっている計算。
 これを、二十年やって来てるんだよ。

 いろんな役者、演劇人もここから世に出て行った。

 今年やたらに、あちこちで名が挙がっている、高橋一生もここにいた。
 彼はすでに子役で活躍した経験もあり、芸能事務所所属してたけど、逆に同世代とか現代的な小劇場の経験がないから、若いうちにそういうことを学ばせたいと、懇意にしていた事務所の社長さんから頼まれて、預かったカタチ。
 リサやケンタたちと、loveloveloveもやった。

 恋のオムニバスというコンセプトは二十年変わらないが、スクラムが生まれたのは、3、4回目の頃か。
 ユーミンの『ノーサイド』というラグビーの歌を聴いていて、ノーサイドという言葉から思いついた。

 ラグビーは試合が終わるとノーサイド。サイド=敵味方 が消えてなくなり、人々がひとつになる。

 それがロミオとジュリエットの物語に私の中で結びついた。
 loveloveのラストにそのイメージを使おう。 

 その時、メインで演出していたのが、今は『刀剣乱舞』とか、2・5次元ミュージカルの代表的演出家になってしまった、茅野イサム。
 そのイメージを伝えると、熱血指導で、茅野が、熱い熱いパフォーマンスに仕上げてくれた。その熱血指導は、代々誰かに受け継がれて、今年もラストは熱いスクラムからの、ノーサイドで終わる。

 思えば、茅野にとっても、このloveloveloveが演出家としての原点であった。

 劇場も20年の間には、転々とした。

 第1回は、都立大学の千本桜ホールという小劇場。
 銀座みゆき館とか、高円寺明石スタジオとか。原宿のど真ん中のライブスペースとか。
 新馬場の六行会ホールも結構やったな。

 銀座みゆき館では、六角の今の嫁が、研究生として、六角精児と出会っている。六角は、たまたま、本当にたまたま、
 日比谷の日生劇場で拙作の、ジュリー主演の音楽劇『ザ近松』に出演中で、有名な大劇場、日生から劇団の飲み会に駆けつけて来た、売れてる先輩俳優のテイで現れ、得点を稼いだのだった。
 オレ今、メジャーな日生劇場で、あの有名な沢田研二さんの舞台に、数々の著名俳優の皆さんとともに出演中だから、名もなき研究生諸君も見に来れば?的な。

 lovelovelove はリアルloveもたくさん産んだのだった。実際にここで一緒にラブラブラブをやり、その後結婚した者たちもいる。 

 ここ数年は、スミダパーク内の『スタジオ・マル倉』でやっている。
 ここは我々の本拠地なので、気分のノリが良い。
 研究生たちが1年間、汗し、涙した場所である。

 ここで初めてやることになった時、スカイツリーはちょうど建設中で、日に日にやぐらが組みあがっていく状態の頃だった。

 そんな半端な状態を、ぜひチラシにしなさいと指示し、200メートルぐらい組みあがった状態のスカイツリーをバックに、研究生たちの並ぶ姿がチラシとなった。
 かれらがいつか、自分の子供たちに、それを見せる時が来るだろか。

 あのスカイツリーが、こんな状態の時、私はその近くにいて、一心に演劇の修行に打ち込んでいたのだと。
 そしてloveloveloveという舞台を必死に作って、やり遂げて、皆で抱き合って泣いたのだと。

 スミダパークの古い倉庫の中にあった、昔の稽古場は建物ごと取り壊され、今、同じ場所に新しい建物が建設中。ピカピカの大スタジオもその中には出来るとか。
 まあ、そこを扉座で使うことはないだろうけど。
 今となっては、夏は外よりも蒸し暑く、冬は外よりも寒い風が吹く、あの隙間だらけのボロボロの稽古場が愛おしく懐かしい。

 また時が過ぎ、景色が変わってゆく。
 
 しかし、数々の思い出たちが、ますます鮮やかに蘇ってくる。
 今年も同じようにキラキラと流れ落ちる、それだけは変わらない、若者たちの、汗と涙の力で。

 lovelovelove20
 2月14日から。錦糸町スミダパーク内スタジオ、マル倉 にて。  

 ★20回アニバーサリー公演として、歴代loveloveloveの記録写真の特別展示なども、計画しているようです。
   
   
 

  
 
 

   


 
  
 
  


 

 

  



 









ジパング青春記

 暮れから正月にかけて取り組んでいたのが、4月から秋田角館・わらび劇場で上演される。

 ジパング青春記 慶長遺欧使節団

 というやつのホン。
 ミュージカルなので、まだ曲作りという大事業がまるまる残っているけれど。

 伊達政宗が、晩年、自腹を切って黒船を作って、ローマまで使節団を送ったことは、有名だが なぜ、そんなことをしたのかは諸説あって定まらない。

 私が最も好きだったのは、スペインと仲良くなって、無敵艦隊を江戸に呼び寄せ、家康から天下を奪おうとしたのだ、という説だった。
 伊達政宗らしく、壮大で、面白いじゃないか。

 とは言え、あまりに荒唐無稽で、面白すぎる。
 太平洋を渡る船の建造だから、莫大な金のかかることで、道楽にしては、ちと度が過ぎるのである。

 しかしその謎に近年新たな学説が加わった。

 震災被害からの復興政策だったんじゃないのか、という説だ。

 実はその船が石巻の浦から、出帆する二年前に、仙台藩の領内で大地震、及び、大津波が起きて、大きな被害を受けているのだ。
 現在の科学的推測で、東日本大震災と同規模のマグニチュードとされている。

 地震学者は、当然昔から知っていた。
 歴史学者も、記録にも残っていることで、知識としてはちゃんと持っていた。

 でも、「津波で小船が山の上まで運ばれた」という記録を、ちょっとオーバーなんじゃないか、盛ってるんじゃないか、と思っていたのだった。
 
 実際に、あの津波に遭うまでは。

 加えて二年後というのも、ピンと来てなかった。
 大津波から二年後の状況がどんなものなのか。

 地震の時期と、出帆の時期とのつながりが、実感を伴なって結びつかなかったのだ。

 しかし、実際に津波から二年たって、現代の被災地の状況を見た時に、
 被災から二年後、その浜辺で、巨大な船を造って、ヨーロッパまで送り出すということが、どんなに規格外のプロジェクトなのか、を実感を伴なって感じ取ったのだ。

 政宗は、大津波で大きな被害を受けた、その場所で、のべ何千人という人間が働かなくては出来上がらない、前代未聞の大仕事をやらせたのだ。当然、雇用を生み、そこに大金を落とした。
 しかも、それは大津波が襲って来たその海、太平洋を津波と逆行して渡りきってやろうじゃないか、という大プロジェクトだ。
 
 そして使節には、まだ誰も開拓していなかった、太平洋横断ルートを使っての、メキシコ及びスペイン、欧州各地との交易を実現させるという使命もあった。
 実現すれば、被災地だった石巻一帯が、大きな貿易港となって、逆に大きく発展したことだろう。
 政宗は、信を置く家臣・支倉常長に、その任務を託していた。

 それが復興政策説である。
 それは歴史の見落としと言えば、見落としであるが

 実際に震災を体験して、そこで仙台の学者さんたちが、ハッと気づいたという
 その発見そのものが、鮮烈なドラマというべき出来事である。

 あの船にはそんな思いが乗せられていたのか!   

 船の名が、サン・ファン・バウティスタ号というので、あたかも外国籍の船のようだけど、スペインの宣教師たちの指導によって、神のご加護を求める名になっただけで
 この船は、あくまでも政宗が考えて、政宗の自腹で造り上げた船なのである。

 つくづく、なぜ、政宗丸と しなかったかと悔やまれる。
 
 ともあれ、
 今回の作品はその新説に依って、政宗の黒船建造と、欧州への使節団派遣を描くものである。
 今まで、そんな視点で描かれた、慶弔遺欧使節団の物語はない。
 たいてい、突飛なる政宗の野望か
 ヨーロッパで洗礼を受けて、キリシタンとなったサムライ、使節の団長・支倉常長の、信仰をめぐる葛藤の物語か。(七年の渡航の果て、帰国した時は、国は鎖国でキリシタン禁止という過酷の運命に見舞われた)

 しかし、今回はずばり、震災と、蘇りがテーマである。 
 四百年前に三陸で起きた震災と、それをとんでもない大仕事で乗り越えようとした、かの地の人々の物語である。
 津波の海に、夢を抱いて、出帆してゆく物語だ。

 それはエンタテイメント作家としては、正直少々、荷の重い仕事で、かつてない緊張感で、取り組んでいる。
 公演は、仙台でもほぼひと月、予定されている。
 四百年前とは言え、地震と津波の話なんだ。いろんな人たちの気持ちを踏みにじりたくない。

 しかし一方で、
 このタイミンクで、こんなテーマに巡り合うことは、滅多にあるものではないと、その運命を噛みしめてもいる。  

 それはまだ誰も、小説にも、ドラマにもしていない、手つかずの物語なのである。

 この後に、たぶんいろんな表現手段で、同じテーマでの
 サン・ファン号の物語が、繰り返し描かれてゆくことになるだろう。

 『ジパング青春記』を、それらの確かな礎となり、道しるべとなり、続くクリエイターたちが、それを新しく描こうとする時、必ず顧みられるような作品にしたいと思う。
 直虎だって、俺、先駆けてやってんからな。
 それも二年前にな。

 そんなことを今、やっています。



  
  
 
  
    

 
  
 








謹賀新年!

 今年もよろしくお願い致します。

 結局大晦日も、ホン書きをやって、おらが春はまだ先ですが、皆さまにおかれましては、健やかな新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。

 さて、先日のことです。まったく正月らしくない話題なのですが。

 私、横内一家で熱海に行ってまいりました。昨年が両親のダイヤモンド婚というやつで、お祝いの会を皆で開いたのですね。
 結婚満六十年という記念で、これはねえ、大変な大事業です。
 まず離婚していない。そして、どちらも健在という条件が必要です。うちの両親はたいしたもんです。しかも、ふたりとも自動で熱海まで来て、酒飲んだり、風呂入ったりしてますからね。
 とにかく、めでたいめでたい、と、この日だけは仕事も休んで、一泊二日したわけです。

 ところが、不穏なメールが、扉座事務所あっこ君から入りました。

 PCや書きかけの台本の入った横内さんのものと思われるカバンが、熱海署に遺失物として届いていると、熱海署から連絡がありました。以下の番号に急いで連絡してください。

 慌てて、熱海署に電話した時はすでに、営業時間外で、明日じゃないと対応できないということでした。

 とは言うものの、ハテと私は思いました。
 おれ、PCなんか熱海に持ってきたかいな……

 しかし今、熱海で、そんなもの落とす横内さんは、俺しかいないだろう。何しろ、書きかけの台本なんていうんだから。第一、何か確証があって、扉座に電話が来たんだろうし。
 そりゃ、横内のものと思われるだろうよ。

  とは言うものの、どうにも覚えがないんだね。
  横内は横内でも、親父のカバンじゃねーの?と疑ってもみたけど、
 さすがに八十四歳、PCなんか使ってないんだな。書きかけの台本も、オヤジが持ってるはずがないし。
 
もしかしたら、隠れてコッソリ台本書きを始めたんじゃないか、という説も出た。

 息子に出来るんだから、父親にも出来るだろうと、思ったんじゃないか、なんて。

 しかし、当然のこと親父も知らんと、否定する。
 
 もっともオヤジも、アレ、俺か?なんて顔してましたよ。それなりの歳ですから、ボケという問題もあるしね。
 かくいう私も、ホン書きのさなかだから、軽く記憶とか失ってるのかも、と自分で自分が怖くなった。

 何とも、狐に鼻をつままれた感じで、その夜は更けていきました。
 さて翌日、熱海署に電話を掛けると、確かに、PCと書きかけ台本と、扉座のチラシがたくさん入ったカバンが届いているという。

 え、それ、なんていう台本ですか?

 いえいえ、あんまり細かい情報を電話でお伝えするワケにはいかないのです、とおまわりさんは言ったけど、ちょっと食い下がってみると

 「コンタクト・ブルー」ですね。

 いやいや、これは明らかに私の仕事ではない。
 もし自分が知らないタイトルで、自分が書きかけていたとしたら。これはかなり恐ろしいホラーですよ。

 でも、なんか聞き覚えがあったのですね。まったくの無関係ではない感触がした。
 何なんだ、いったい、ああ気持ち悪い……

 そのかばん、熱海のどこに落ちていたんでしょう?

 街ではないです。電車の中です。上野湘南ラインの車内で、終点の熱海で回収されたものです。

 諸君、これはねえ、推理小説の書き方教室みたいな話だよ。

 この瞬間、ずーーーーーーーーーーーっとモヤモヤしていた謎が、さーーーーーーーーっと解明されていった。

 つまり、それはたぶん東京、神奈川辺りで車内に忘れられて、熱海でやっと回収されたんだね。
 で熱海署の人が、調べて、これは扉座と関係があるのは間違いないと、電話してくれたわけだが。
 電話を受けた扉座事務所あっこ君は、横内家が熱海に行くことは、同じくちょーベテラン扉座事務員である横内オヤジから聞いて知ってたから、てっきり、私が熱海で落としたと思ったんだね。
 それも展開にまったく無理がない。

 ところが私は熱海にいたのは偶然なんだね。
 そして、あとはすべて理に適った、必然だった。

 俺のじゃねえな、と事務所赤星に電話してる時、にしても誰のカバンだ?
 「コンタクト・ブルー」って何よ?
 
 と語り合い、その時、ふたり同時に、アッと声が出たね。

 先日、研究所卒業公演『LOVELOVELOVE20』のためのオーディションがあって、若者たちの創ったエチュード作品を五時間分見たんだけど、確かに、そこにそんなタイトルの短編があったのだった。

 うちの研究生たちは、この時期、ほぼ全員、書きかけの台本を持っている。

 聞けば、一昨日の夜は、そのオーディションを終えて、いよいよ本格的な作品作りに入るための飲み会が、犬飼指導員の音頭で、熱く開催されたという。

 あ、「コンタクト・ブルー」の研究生がへべれけに酔っぱらって、電車の中に置き忘れたんだね。大事なカバンを。
 それが東海道線で、熱海まで行っちゃったんだね。

 代わりに俺が引き取ってやろうとしたけど、印鑑付きとかの書類がないとダメらしく、断念した。

 にしても、面白い話があるものだね、と横内家で笑いあったものよ。
 んが
 ここにはもう一つ、オチがついていて。

 妹一家は車で来ていて、帰りに、箱根とか寄っていったらしいんだが
 途中のどこかで、姪がスマホを落としたと、大騒動になったのだった。
 幸い、ソバ屋でみつかって、翌日姪はひとり、登山鉄道で引き取りに行ったそうな。

 人の忘れ物、笑ってる場合じゃなかったんだね。
 と、洒落たエピローグまでついてる、推理小説教室であった。

 そんなこんなで、忘れ物に気を付けて、私は今年も頑張ります。
 ぜひ、劇場にいらしてください。
 
 ちなみに事務員あっこ君は、昨年から正式に扉座常勤となっています。
 皆さま、お見知りおきの程を。



 
 









 
 
 
 
 

  

 


歓喜と、オリンピック・ボランティア制服。

 11月からスタートした『歓喜の歌』が、昨日、横浜の演劇鑑賞会公演で終わった。

 第九合唱隊=歓喜団は、東北からの参戦もあって、総勢126名。
 舞台に隙間なく、歓喜団の並ぶ光景は壮観だった。
 そして圧倒的な歌声。まさに歓喜!

 この模様は、Facebookとかに写真入りでたくさん出てるから、壮観だった、とだけ言っておく。
 しばし、この余韻に浸っていたいけど、宿題をサボったツケが回ってきている。

 東北ツアーの間も密かにとりかかってはいて、
 帰ってきたら、出来上がってる、みたいな楽観的計画もあったのだけど、まったくそんなことはなく、 ここからの勝負になった。
 ああ……
 夏休み、8月29日ぐらいの気分……

 作曲の為に待ち構える深沢桂子先生に会うたびに、すんません、お待ちくだされと謝る日々。
 やりますやります、と言うだけは言う。

 さあ、こっからこっから、切り替えてくよ、切り替えてくよ。

 たった一人のチームで、自分に声をかける。

 今まで、ぐわあーーーと人がたくさんいた中から、突然、全きひとりの世界にこもる。
 この振幅に、身も心も適応するのが、たいへんでござる。

 そんななか、ふと思った。
 
 2020年東京オリンピックのボランティアの制服デザインが、とっても不評で、小池知事がやり直すとか言ってるらしいけど

 そういわれると、何か、欲しくなってくるのは、少し病み始めた私だけか。

 あの青色と赤色が、クドク入り混じったブレザーみたいな感じのやつね。
 (昔 ナカノヒロミチ とかで、あんなの普通にあった気がするんだけどな)
 
 確かに、はじめ見た時は、えっと思い、私も苦笑な感じだったけど
 みんながダサいダサい、言い出いして、こっちも勢いづいて悪口とか言ってるうちに、逆に何かが染み込んできて

 別にこれ、反骨精神とか天邪鬼とか、いうことでもなくて、

 妙な愛着がわいてきて、あれ着ると、なにか新しい世界が見えるんじゃないかと思えて来た。
 何よりも、時代を取り込む感じは漂いそうだ。

 あれを着たバンドって有りだもんな。
 あれ着こなしたら、今の時代を不思議に歌えそうな気がしない?

 だって考えて!
 草間彌生のデザイン、本当にみんな、最初から好きだった?
 
 そもそも55歳の私が、阪急メンズとかでせっせと買ってる、変な柄のトレーナーとかも、興味のない人にとっては、

 なにこれ、おかしくねえ?

 な感じだろうし。
 ギリギリ、それなりのブランドだったりするから、こっちもまだ踏ん張れてるけど。
 真っとうな同窓生とかに会って、真面目な姿、服装を見た時とか、
 時々、おれ大丈夫か、
 どう見えてるんだろう?と、我ながら心配にもなる。

 しかしファッションとはそういうものだ。

 そして真のデザインは、流行を作るものだ。
 皆がいいと思うのは、すでに流行なんだから。

 それじゃこれから作る意味がない。

 たとえぱ東京オリンピックの選手団の制服デザインとか、
 本気でやるなら、川久保玲さんとか、山本耀司さんとか、そこにつながる鋭い若手をしっかり口説いてお願いするべきだと私は思っている。
 新しい価値観を、きっちりと世界に提示してくれる本物のクリエーターね。

 男の子がレース付きの花柄シャツを着る、
 古い価値観からしたら、変態として捉えられたものが
 そういう人たちの感性でまとめられた時、
 男たちが武器、兵器を捨てるという、時代へのメッセージになる。
 
 美しく去勢されることが、世界的な流行りになる。

 それを素敵と思って男たちが装い、女たちが可愛いと言って、微笑む。
 それが世界の変革に関わることになる。
 大げさに言えば、そういうことだもの。

 そういう天才たちは、たとえばオリンピックに反対の人とか、興味のない人にまで届く、メッセージをデザインで提示してくれると思う。
 批判や皮肉も込めて、我々がこの時代の、大イベントにどう臨むべきか、新しいヒントを与えてくれると思う。
 私たち、凡人には、まだ気づけない、価値を提示してくれる人に頼もう。

 まだ気付いてないんだから、その出会いはきっと、違和感だらけなんだろうけど。
 最初からしっくりくるのは、ユニクロでいいんだし。
 それじゃ、レガシーにならんぜ。(いっそユニクロで、東京にレガシー一切なし!みたいなコンセプトも、きっちり振り切るなら面白いとは思うけど)

 レガシーとは、未来の価値なんだから。

 そういう意味で、あの制服の持っていた違和感は、もはやボランティアの制服を超えた感が、私にはする。

 一種、レガシーの匂いさえ漂い始めた。

 まあ、デザインそのものの力というより、そこに生まれたドラマも含めてのことだから、天才的所業とはいいがたいけどな。
 それでもそんな印象的なドラマを生んだのだから、力はあるというべきだ。

 それは政治的にも、哲学的にも装うことが可能であり、
 ひととき、マジョリティー及び権力に、これはダセエ、アリエン!と、きっちりジャッジして切り捨てられたという、
 徹底的にマイノリティーというか、不良生産物なのに

 へたなメジャー作品より、ずっと有名で、インパクトがあるという。

 まさに、価値があるとすれば、未来にしかない、
 究極のファッションになったと思うのである。

 予言しよう。
 あれ、ぜったい欲しがる人、増えてくるよ。
 早く、着こなした者の勝ちだ。





 ほら、まったく仕事に向かってない……
 今、私がとりかかるべきテーマと、これっぽっちも、かすってもない。
 
 おーい、切り替えてくよ!


 
 

 

 

 
  
 

 

 
 
   

  









年末に思う

ずいぶん日記を書いてなかった。
 facebook は連日投稿してて、細かい情報はそっちにせっせとあげていた。
 やってる方は、ぜひそちらも繋がって下さい。

 目下、劇団は『歓喜の歌』の東北ツアー中。
 一方で、私は来春にわらび座で開ける『ジパング青春記』という作品にとりかかっている。
 
 この間怒涛の如くやって来た『郵便屋さんちょっと』と『歓喜の歌』についても語らなきゃいけないことがいろいろあったが、もう頭は切り替わってる。
 今は、この作品で頭がいっぱい。
 もっともこれについて語りだすと、かなりマジになるので、これから小出しにしていく。
 
 個人的には、この作品作りは、ちょっとしびれる勝負になると思ってる。
 たぶん生涯何度かしか出会うことのない、大ネタと出会った。
 とだけ、今は言っておこう。

 これをどう仕上げるか、勝負だ。
 
 ところでもうひとつ秋以降私が取り組んでいたこと。

 Maxとの最終決着。

 パチンコの話である。ギャンブル性の最も高い機種をMaxというのであるが、これが今年になって、突然規制されて、年内にすべてのホールから撤去されることになった。

 なんで?突然?というタイミングで、裏に何か国家的事情があるのは見え見えなんだが、
 ともかく、一か八かの大ばくち台が、間もなく消えていくのである。
 
 このMax、バカ当たりすると、一撃で3、40マソ になるというものなのだった。
 以前劇団に客演してくれた某無頼派俳優は、稽古帰りに『ウルトラマンMax』で25マソ かっぱいだと、ドル箱が富士山のようになった光景を撮った写メを見せびらかしてくれたものよ。
 
 いつか俺もと、心に固く誓った。


 しかしMaxは、当然のこと手強くて、恐ろしさもMaxで、勝負は大きいが、遊べない台なので
 私はたいていもう少し穏やかな敵=ミドルと戦っていたのだった。

 それが突然、Maxが消えるというので、消える前に倒さなきゃと思ったのである。
 私は、最高の勝ちでも20マソに届いたことがなかったのだ。
 で、今年は折々に思い出作りに挑戦したのだが


 しかし諸君ね、

 Max消えないうちに勝負して、三十万ぐらいの記録出しておこうか。

 そんな考えが通用するほど、世の中は甘くないよ。
 当然、Maxの力を思い知り

 覚えておけよ!

 と決まり文句で店から退散することが続いている。
 まあ、まだ今年はあるので、諦めちゃいないがな。

 さてそんな状況下で聞こえて来た、カジノ法案問題である。

 反対派は、依存症を心配している、というけれど。
 
 これほど上滑りな議論がかつてあったかね。
 まだないカジノをどうこういう前に、今あるものはどうなるんだ?
 そこは心配しないのか?


 あまりにバカバカしいから、パチンコ業界との関係も疑いたくなるよ、そりゃ。 
 

 その審議の様子が、パチンコ屋の店内のテレビで映されていたのも、あまりにシュールな光景だった。

 以前、質問で安倍総理は『パチンコはギャンブルじゃありません』と答弁したようだが。
 じゃあ、何が俺たちの諭吉を飲み込んでいってるんだーーーーー

 ちなみに六角精児は、反対派である。
 表向きは『僕のような依存症を生む危険が大きすぎる』という理屈で。
 この言葉が、なななななな何と、かの天声人語にも引用されたのである。

 しかしこのページの賢明な読者にだけは伝えておこう。
 カジノが出来たら、真っ先に行くのは六角だ。


 六角はカジノが出来たら困るパチンコ業界と、何か裏取引して、こんなことを言っているに違いないと私は見ている。
 実はその証拠もある。

 私のfacebookにその証拠写真がある。アカウント持ってない人は、お友達にでも見せて貰って。
 kensuke yokouchi で検索すると私のページが出てきて、問題の写真が少し前の投稿で載っているから。

 六角が誰もいない東北のホールで、ただ一人、台を打ってて、ドル箱を積んでいる姿。

 不気味なほど、お客のいないホールで
 そこでただひとり、打って、当たりを出しているのである。

 こんなこと、マトモじゃないでしょ。
  金持ちの旅人ですよ。
 おそらくもう二度と遊びに来ない。
 しかも、今の彼は多少スッても痛くもかゆくもないのです。
 
 不良在庫となりかかっていた、六角バンドCDまで、このツアーの物販コーナーでバカ売れしてるんだ。

 そんな人間に、わざわざ出さなくてもいいんだ。
 カモにしないで、どうすんだ、みちのくのパチンコ屋!
 台の不正操作しても、ここは手ひどくカッはいで、ボウズにすべきなんだ、パチンコ屋としては。

 なのに、ドル箱プレゼント……
 しかも六角は、この前の町でも、ひとり勝っていたという。 

 パチンコ業界との癒着を裏付ける決定的な証拠である。



 


 台本書くためパソコンに向かったけど……
 進まなくて、また逃避している私。
 がんばれ。