見城さんのこと 町の小さなレストランが

 幻冬舎プレゼンツ『無謀漫遊記、助さん格さんの俺たちに明日はない』
 新宿公演までの小休止。

 見城さんとの馴れ初めとか、コレで5回目となる幻冬舎プレゼンツ公演が、ココに至る経緯などは、今まで何度も書いて来たので、気になる方はアーカイブを覗いて頂きたい。
 多大なご期待とご支援に背かぬよう、前4回の公演の成果を凌駕すべく、全身全霊で紀伊國屋ホール公演に向かうのみである。

 ところで
 「君たちは見城徹から金など貰って、恥ずかしくないのか」というメッセージが、秘密裏に私の元に届いた。
 詳細は省くが、要するに、私が金欲しさに見城さんにすり寄ってるように見えているらしい。
 演劇人なら、権力者に尻尾振るんじゃねえ、という趣旨らしい。

 見城さんって派手な人だからね。成功者だし、お金持ちだし。でも権力者というのとは違うだろう。出版社の社長さんだ。
 その社長さんが我々の芝居を気に入って下さって、限りなくメセナ(文化支援)に近いカタチの、自社広告の一環として冠公演をプロデュースして下さっているのである。
 だからこそ、無謀ナイトと言う学生の無料招待公演(紀伊國屋ホール一回分まるっと)なども実現出来ているのである。今回で5回目。延べ2000人以上に無料で見せ続けてきた計算である。

 何を恥ずかしがれ、と言うのだろうね。
  
 昨今は演劇活動にも公的助成がつくことが多くて、我々も大変助かっているのだが、ソレを採るために最も大切な演劇の面白さの追求じゃなく、助成金審査に通りやすい企画とか、審査員受けする企画書とかを作成することに血道をあげたりすることの方が、よっぽど卑しい行為だと思うんだがね。

 ちなみに、文化庁や文化振興基金の助成に、学生に無料で見せたいので、支援してくれなんて書いても、きっと受け入れてくれないと思う。

 もっともそういう非難の気持ちが、まったく分からんじゃないのだ、私も。前回も書いた通り、元は学生運動にも憧れた青二才なんだから。
 私の青春期はちょうど、アングラが廃れて、バブル文化が花開いてゆく、ハザマの時代だが、まだ演劇はあくまでも反権力であり、打倒資本主義であり、社会変革の精神的支柱でなくてはならぬものだった。

 某アングラ劇団は、紀伊國屋ホールさえ、資本主義的なブルジョアの牙城だとして、本気でヘルメットにゲバ棒を奮って、劇場をぶち壊そうとして乱入などしたのである。コレ、実話だからな。
 その文脈から言えば、メジャー出版社幻冬舎と付き合う扉座もブルジョアに毒された愚かな飼い犬ととらえられても不思議ではない。

 今の若者には何のことか、さっぱり分からんだろうな、このくだり。実際、そういう活動してたアングラ劇団の人たちも今は平気で帝国劇場に立ってたりするし。

 たださ、いま届けられたそういう非難は、まったくそういう未熟だけど必死な精神を継承したものではなく、単なる嫉妬ややっかみだろうから、こういう風に論じることも虚しいな。
 たとえば百田尚樹の思想が気に入らないからと言って、その本を出して儲けているのが幻冬舎だとして、しかし渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』も幻冬舎が出してるんだし。見城徹社長と癒着することを、思想的なものや、イデオロギー的文脈で非難しようと言うのは、あまりに薄っぺらいことだよな。ましてや、見城さんが安倍晋三さんと仲が良いらしいから、けしからん、とか。
 
 あのね
 安倍首相の地元の山口県の選挙で、脱原発の候補を猛烈に支援して徹底的に闘った、坂本龍一さんの個人事務所の社長は、今も見城さんなんだよ。もっと言えば、見城さんは若き日に左翼運動に没頭されていた過去があるしな。

 世の中はそんなに単純で薄っぺらいものじゃない。人と人はもっと複雑に絡み合い、ぶつかり合い、そこから何かを生み出そう、答えを得ようと、老いも若きも男も女も右も左もキリスト教もイスラム教もあがいているのだ。
 
 そんなことよりさ。俺らを非難したい人たちさ。
 お前も一回、見城さんから支援受けて、芝居とか作ってみろよ。
 
 描く中身とかには一切、注文はないんだ。実際、今回も上演前にお届けした台本も読んでおられない。
 「怖いから読まない」とうちのパンフに理由をはっきり記されている。

 ただあるのは、笑わせて泣かせて、魂を揺すぶってくれ。あの頃の『つか』のように。
 これだけ。
 言っとくが、初めて文化会館を建てた田舎の市長さんの注文じゃないんだぜ。
 幻冬舎の本絡みだけで、毎年どれだけの映画やドラマが撮られている?かの角川映画全盛期には、すべてを切り盛りしていたお方だよ。その周りには、どれほどの天才作家、大監督がおられるか。
 毎晩、そういう人たちと会食している人の、注文なんだよ。

 町の小さなレストランに、魯山人が来て、美味いもの食わして、とだけ言って片隅に座って、オヤジさんの作る料理を待ってるような話だよ。

 こっちが怖いわ!

 しかし、そんな希代の目利きが、
 大丈夫か?今度の料理は美味いのか?
 と本気でドキドキと待っておられるのである。
 まあ、こんな小さな店だから不味くてもしょうがない、なんてことは一切お考えにならない。
 俺が美味いと信じた以上、期待した以上、もし美味くなかったら、本気で絶望するからな!嘆き悲しみ、死を思うからな。

 見城さんの座右の銘のひとつが『絶望しきって死ぬために』なんだ。
 見城さんは小さな町のレストラン、扉座に対しても妥協なしで、絶望の覚悟まで決めて臨まれておられる。
 
 「そんなにご不安なら、先に少し味見してご意見をお聞かせ下さい」
 「いやいや、怖いから、味見なんかしない。美味くできてから食べる」

 分かりました。こちらも切腹の覚悟で臨ませて頂きます、と言うしかない。小さな町の人々に愛されて40年続けて来た店のオヤジ、切腹の作法も知らぬのに……

 そんなプレッシャーの中で闘って見ろよ、お前らも。
 金貰って気楽なもんだな、なんて話じゃねえんだよ。
 稽古に入ると、仲間と一緒の闘いになるから、まだしも心強いけど。
 ホン書いてる間は、ずっと後悔してるんだぜ。

 こんなこと約束しなきゃよかった。
 お金返して謝って来ようか、と何度も思うんだぜ。

 しかしまあ、そんな私の心の内の恐慌が世間にはまったく伝わらず、大社長に適当に尻尾振って、うまく立ち回れているように見えているのも悪くはないな、とも思うんだ。

 恥ずかしいと、思わないのか!とか叱られて。
 スミマセン、ヘヘ……とか。

 俺らが悲愴に見えてたら、芝居なんかつまらなくなっちゃうもんな。
 卑屈に見えてもいけないね。
 テキトーに偉い人たち、たぶらかしてるように見えるぐらいじゃなきゃ、イカン。
 所詮、河原乞食なんだから。

 しかし実際ね。すっごーく大変なんだけど。
 このヒリヒリ感が癖になって来ている部分もあるんだ。
 単なる楽しいじゃない。
 恋のように、楽しくて苦しい、たのくるしい 感覚。
 一度知ると、なかなか離れられなくなる。そして深みにはまってゆく。
 いっそ法的に規制して欲しいぐらい。

 小さな町の食堂のオヤジ、何とか危機を乗り越えて、魯山人様を見送って。
 「オイ、魯山人が、美味かった」と言ったよ。
 魯山人に給仕の作法がなってないと何度か叱られた、ウェイトレスは心身疲れ果て、ぐったりしている。
 こんなこと二度はなくていい。これを最初で最後の良い思い出にしよう……
 小さな店の誰もがそう思って安堵する時、ひとりオヤジの胸の中に、新たな火が点いたりするのである。
 
 次は魯山人にアレを出そう。コレも食わせよう、と……


 創ってゆく、生み出してゆくって、そういうことなんだ。

 そしてそんな風にクリエイターの心に火を点けて、本人が自分でも驚くようなスゴイ仕事をさせてくれるのが、名プロデューサーなんだよ。

 とってもお世話になっているパトロンだけど。それだけじゃない。
 見城さんのお陰で、私は劇作家として、演出家として、自分でも忘れていた私の中にある力を激しく呼び起こされているのだ。
 そして私なりに、絶望の覚悟を決めて、この仕事に打ち込んでいる。

 そんな作品を、11月4日から11日まで、新宿紀伊國屋ホールで上演します。
 平日の夜にはまだお席があります。

 いろんな意見、メッセージを届けて下さる皆さん、ありがとう。
 「恥ずかしくないのか!」という言葉にも、深い導きがあると思っています。
 恥ずかしくない、証を立てます。

 これからも、どうぞ宜しく!

 
 


 
 


 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 


 

 

 

 



 

 
 


 
 
 
 
 
 

 
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 







告白  無謀漫遊記 公開前に

 ちょっと難しいことを書くから、そういうのが苦手な劇団員や、お客様方は読まなくてよろしい。『無謀漫遊記』はひたすら楽しい物語です。

 水戸黄門の物語なのに、時代劇なのに、なぜか革命に挫折した元全学連闘士みたいなやつが登場して来る。 シリーズ第二弾『郵便屋さんちょっと』に続いて、有馬が演じる。 俺の中でそういうイメージだから仕方ない、というか、うちの劇団でそういう人たちの言説を一番理解してくれそうなのが自由君だから、彼に託している。

 つかこうへいを思う時、つい、左翼が気になるのである。
 そもそもつか作品で私が好きなのも、『初級革命講座飛龍伝』だし『戦争で死ねなかったお父さんのために』だ。広末涼子さんとかがやったロミジュリみたいな飛龍伝とは全く違う、ガチに革命の芝居だ。七十年代~八十年前半までの飛龍伝に恋のシーンなんか、全然なかった。

 今の私は、左翼ではない。だから基本的にリベラルな姿勢の現代演劇人たちから、少し浮いている。劇作家協会でも、ちょっと居心地が悪い。だって、左翼が嫌いなんで。
でもついつい、そんな左翼を書きたくなる、そこには左翼への歪んだ思いがある。

 高校時代、左翼=アカを信じるのを辞めようと決意した。
 何にも分かってない小僧時代じゃないか、と言われればその通り。でもかなり真剣に、そう決意した。
 奴らはインチキだと。
 
 しかし、そもそもは左翼が嫌いじゃなかった。
 俺は、マセた理屈っぽい青年だったし、周りのカッコ良い兄さん大人たちは、ほぼ左翼的な人たちだったしな。
 アカっぽい先生たちの方が言うことがイチイチ刺激的で面白かった。
 青春はいつも、反権力から始まるんだ。

 神奈川県立厚木高校でも70年代、学生運動の波は起きていたのだと言う。しかし、古い旧制中学からの伝統校で、同窓会系OBが教員のほとんどを占めていた厚高では先生たちが断じてそれを許さず、共産系の外様教員もろともに徹底的に弾圧して制圧したのだそうだ。

 私は文化祭実行委員長をやっていて、その運営の担当が同窓会系の先生たちだったので、よく当時の武勇伝を聞かされていた。
 夜中に侵入してくる運動派の学生たちを待ち構えて、竹刀で打ち付けたみたいな。

 当時、俺たちの認識では、同窓会系は右翼だった。で、その右翼的教師軍が変な伝統も守っていた。だから、『ホテルカリフォルニア 私戯曲厚木高校物語』に描いたような、或いは『リボンの騎士』にも描いたような、暴力的な応援団も平然と存在した。
 当時もすでに強い非難はあったたんだ。軍隊じゃあるまいに!と。
 そんな意見を同窓会派は、徹底的に排除していた。

 だから、そんな同窓会系派と日教組に与する左翼系教師はイチイチ衝突し、その間に、深い溝があったんだな。
 そして同窓会派が、文化祭担当だったから、左翼系はおのずと半文化祭派となっていた。

 よく言われたもんだ。
 文化祭は教師にとっての時間外労働になるから、やる度に職員会議で揉め事となるんで、下校時間とかは順守するように、と。
 しかし、ホテカルという芝居に描いたように、俺たちの文化祭は歴史に残る画期的なイベントになった。そのぐらい真剣に取り組んで、シラケてた進学校の祭りを盛り上げたんだ。
 その情熱に、担当の先生たちもよく付き合ってくれた。
 右翼だから、情には篤いのである。

 だが俺たちが、必死にやればやるほど、左翼、日教組系は面白くなかったんだろうな。帰り時間も遅くなるしな。革命の志も持たずに、くだらぬ祭りに浮かれる馬鹿な教師と生徒たちと、目に映ったのだろうよ。

 後日、先生たちの間で行われたアンケート結果、というのを担当の先生が見せてくれた。ケンスケは作家だし、大人だから、知っておくのも良いだろうと。17歳だったんだけどな。処女作で話題になってたりしたので、冗談交じりに作家とか、呼ばれてた。

 目を疑ったよ。
 「こんな低級なことに教師も生徒も時間を費やして、嘆かわしいばかりです」
 「もっと他にやることがあるだろうに」
 みたいなことが、ダーッと書かれていた。

 俺は基本的に性善説の人間だから、先生は、生徒のことを思うものだと、その頃はまだやんわりと信じていたよ。
 なによりその文化祭は、とっても手ごたえがあったんだ。俺たちのなかでは凄いことをやり遂げた感があった。
 なのに、そんなことを一滴もくみ取ってくれない教師たちがこんなにいたんだ。

 担当の先生はフォローしてくれたよ。
 でもな、これは君たちへの評価と言うよりも、我々の対立の中で生まれる意見なんで、そんなに気にするな、称えてくれてる意見もこんなにあるんだ……

 容赦ない非難を浴びせているのは、演劇部の尖った先輩たちが、友人のように慕っていた、左翼系教師だった。

 単なる政治的対立で、俺たち生徒はとばっちりを受けたと言うのが真相だと思う。
 きっと左翼先生たちも、革命の話なら、夜を徹しても熱く語ってくれたんだろう。実際、尖った先輩たちには、そういう先生たちから酒を奢って貰って文学の話を夜中までした、なんて自慢していた。
 私もそれに憧れていたのだ。
 で、政治信条とか対立とかを超えても、俺らの頑張りにはエールを送ってくれるものだと、どこかで信じていた。
 
 それが、こうも簡単に、低級などと斬り捨てられるとは。
 心の底から悲しくなったな。
 
 その時はそこまでだ。
 「こいつらは許さん、こいつらの言葉に耳は傾けない」と決めたのは、その後いろいろ考えて、どう考えても、こんな大人たちは尊敬できないと確認が出来た時だった。

 小さすぎるんだよ、イデオロギーに取り込まれてしまった人たちは。

 俺は俺たちが一所懸命にやってることに対して、冷ややかな正論を述べてくれる人よりも、一緒に泣いてくれる人が好きだ。


 実は、その文化祭の前夜。校内に不審者が入って、いろんな展示を破壊するという事件があった。犯人は未だ定かじゃないし、明らかに犯罪なので、ホテカルにそんなことは書かなかったけど。
 歴史的に熱く燃えた文化祭をやっかむ奴らは確かにいたんだ。

 俺が一番大事にした、全校生徒からのメッセージボードの部屋には、そのメッセージたちにスプレーがかけられていた。
 それはハガキを全生徒に配って、言葉でも絵でも何かメッセージを書いて提出してくれ。それを全生徒分、ダーッと展示するから、という企画だった。
 当時で、その枚数1600枚。
 ひとつの教室に隙間なく、ダーッと並べた展示は、ちょっと壮観だったよ。
 
 何しろ進学校で、文化祭なんかに情熱傾けるのはムダだと本気で思ってる生徒がたくさんいる学校だった。全生徒参加なんて、実現不可能だったんだ。
 そこを何とかしようと、俺たちの代の委員たちで企画した。
 
 この事件のことは初めて話すことだな……

 それを夜中に忍び込んでスプレー掛けやがって。
 信じがたい酷いことをされたんだ。
 この企画は実現するのに苦労した。
 企画を進めた時に、こんなこと言って抗議する生徒たちが本当にいたんだよ。

 全生徒にメッセージを強制するなんて、全体主義だ。自由のはく奪だ。

 何人かの生徒がそう言って来たんだけどな。それは明らかに、戦後民主主義の思想だろ。俺は白紙でもいいから、と説明したんだよ。で、実際、どうしても皆と同じことをしたくない奴らの部分は白紙になった。

 違う主義主張があるなら、そこにそれを書けばいいじゃないか。
 
 疑うなと言っても、無理だ。犯人は明らかなんだ。
 そしてその後ろに、あるのは、当時の日教組のうすっぺらい思想なんだよ。
 言い方が悪けりゃ、素晴らしい思想のうすっぺらい実践だ。

 そのメッセージ・ルーム以外にも、いくつかの組の展示が破壊されていたりした。
 文化祭の朝、登校して来た子たちが、精魂かけて作り上げた展示の無残な有様を見て、泣き崩れてたよ。

 担当の先生たちも、泣いてくれた。
 頑張って、修復しよう。こんなことに負けるな、と泣きながら励ましてくれた。

 俺は、今もこの先生たちを尊敬している。

 

 今、取り組んでいる『無謀漫遊記』では、昭和を書こうと思った。平成の終わりだからこそなんだけど、平成は実は、どうでもよくて。
 俺にとっての昭和である。

 昭和の戦後史、は良くも悪くも、左と右の闘いがテーマになってて。
 つかこうへいも、その中に確実にいて。
 ただ、つかさんは、自身の出自、差別への思いなどを巧みに取り込んで、
 気持ちよく、右と左をぶっ飛ばして、笑い飛ばしてくれた。

 自由は、君たちの安直なイデオロギーなんかで実現できるもじゃねえ!
 人と人が真剣に愛し合うことでしか、自由も美しい国も生み出せないのだ、と。

 それは俺の青春時代にもっともしっくりとくる思想だった。
 そして今も。

 だから俺は、つかこうへいを 今も敬愛するのである。
 俺にとっての昭和は、つかこうへいである。

 
 
 
 

 



 
 
  

 
 


  


 
 


 
 

 
 

 


 


 
 
 

 
 

 

 

 

 





前進か死かイボか #無謀漫遊記

 この時代、公的助成ではなく、小劇団が企業のスポンサードを受けて演劇製作しているなんて、稀有も稀有な事例なので、よっぽど横内が上手く幻冬舎の見城徹社長に取り入ったに違いないという、憶測が流れるのもむべなるかな。
 
 しかし残念ながら世界で一番商売が下手な我らに、そんな目覚ましい才覚はなく、
 ホントのホントで、一所懸命やってる舞台『つか版忠臣蔵』を、六年前に、見城さんがたまたま見て下さって、とても気に入って下さり。

 こういう舞台をもっと多くの人たちに見せたい。支援するから、続けるつもりはないか?

 と言って下さってスタートしたのである。
 疑うなら、見城さんの最新著書『読書という荒野』を呼んで欲しい。ご自身の手で、そのいきさつが綴られている。

 だから、これはガチの勝負なのである。
 舞台上で、幻冬舎の名や、見城さんの名を連呼したりするけど、それは、つかこうへい先生がよくやっていた、つかスタイルの踏襲だし、そこに込める気持ちは、ゴマをするというよりも、このご時世に支援して頂いていることへの深い感謝の思いである。

 そして問題は、常に舞台の仕上がりだ。
 我々にはこの支援を受けて「こういう舞台を作り、見せ続ける使命」があるのだ。
 それが出来ぬなら、幻冬舎シリーズも継続はない。

 正直、ゴマすりで成立する仕事の方が楽である。
 だって、傑作じゃなきゃイカンのだよ。
 麻雀で言えば、満貫縛りの場況である。高い役でなきゃあがれない条件のゲーム。

 しかも、見城さんは割と公的な場所でも、横内は天才です。とか発言して下さっている。
 この上なく有り難い話だけど、そこにかかるプレッシャーというものは、諸君、君たちに想像できるかね?
 私、こう見えて結構、腹の座った所があって、イザとなると、俺が腹斬りゃいいんだろ、みたいなヤケクソ精神モードには入れるんだけど。
 やっぱりカラダは正直で。

 この本の執筆中、なぞのイボが、額(ブッダ・ポイント)とアゴ下という、身体のセンターラインに突然出現した。書き上げた時に医者に掛かって、液体窒素で殺して貰ったが、今もその痕跡は残っている。アナル方面は春先に退治したからか、上の方に今度は出て来た。
 ストレスは、確実に襲い掛かっている。
 俺なんてそんな立派なヤツじゃなく、つまらんイボ男ですぜ、とカラダが主張するのである。

 もちろん、どんな作品だって、生み出すことは常に巨大なストレスの掛かることではあるんだけどね。
 幻冬舎プレゼンツの場合、その期待の露出具合がハンパないから、やり過ごすのが大変なんだ。それがイボとなる。

 シェイクスピアが、エリザベス女王のリクエストを受けて、何本か書いたと伝えられているけれど、気分的には、同じである。
 偉い人だよ、シェイクスピア。

 しかし、諸君、そういう大舞台で勝負させて貰えるなんて、作家冥利に尽きることだものな。まして劇作生活40周年だよ。ここを逃げちゃ、ダメだろ。数だけで言えば、シェイクスピアよりも、たくさん書いて来た作家なんだしな。

 そんな闘いの結果を、間もなく皆さんにご覧頂くのである。

 だからって、特別に熱を込める訳ではなく、いつも通り、精魂込めて創り上げるんだけど。
 40年これだけやって来た男が、今尚しびれつつやってるガチの勝負。

 一人でも多くの方に見物に来て頂けたら幸いです。
 腹斬る覚悟も出来てるしな。


 稽古も大詰め。
 

 


 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 

 

 
 

 
 
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 

 






「無謀漫遊記」 つかスタイルの俺流ドラマ

 処女作「山椒魚だぞ!」は十六歳の夏休みに書いて、たしか17歳になった10月辺りに上演したと記憶する。
 高校演劇の神奈川県・県央地区大会である。
 それから40年。56歳から57歳にかけ、誕生日をまたいで書いたものを、平成最後の10月27日に上演する。

 40年前と同じく、同級生の岡森諦と後輩の六角精児が出演する。
 しかも、処女作と同じように、つかこうへいスタイルで、ほぼ裸舞台で、BGMをバシバシかけて、言葉と肉体だけで勝負する舞台で。

 幻冬舎の見城徹社長の熱狂的なご声援を受けての幻冬舎プレゼンツ・シリーズは、ずっとつかこうへい原作でやって来た。見城さんが、つかさんの盟友であったことが大きな理由の一つである。
 ただ、今回はそんな節目であることと、40年を経て、今も尚、岡森、六角とともに芝居作りをしているという、何の運命なのか分からぬ因縁を踏まえて、どうしてもオリジナル作品を書き下したかった。
 それで見城さんにも、少しわがままを言って、その挑戦を認めて頂いた。

 まあ、今までのも、ほぼ横内のオリジナルみたいなものだしな、期待するよ。と言って下った。

 実際、扉座上演の「つか版忠臣蔵」「郵便屋さんちょっと」は、私がリライトした部分が大きくあるものである。
 とは言え、一から発想して書くのは、ずいぶん違う仕事になる。
 なにより、それでつまらなくなった、とは絶対に言われたくないから、プレッシャーも大きかった。

 しかし、こっちも四十年これだけやって来た男である。
 たいていの仕事は十年もやれば一人前扱いはされるものだろう。
 それを四十年なのである。
 そのキャリアをぶつけて何としても、傑作を書く!と心に銘じて、春先から構想だけは温めて来た。

 結局、水戸黄門を土台にはしたから、完全なるオリジナルとは言えないかもだけど、当然のこと、そのドラマは水戸黄門のそれとは似て非なるものであり、また、つか作品とも違うものだ。
 演出は、つか式と言うか、つかスタイルでやるので、印象は前2作と似てくるはずだし、それを狙うのだけど。描くドラマの肝は、かなり違う。

 そこがお客様にどう受け止められ、どう感じて貰えるか、期待と不安の入り混じるところではある。
 ただ、何せ、処女作がほぼ同じような手続きで出来上がり、それが面白いとおだてられて、この道を進むことになったのである。

 つかスタイルの俺流ドラマ は実は私の原点なのである。

 人生一回りは六十年と言うけれど、劇作人生、そんなに長くは続かないだろうから、さの三分の二ぐらいで、劇作還暦でいいんじゃないかな。
 
 還暦って、赤ちゃんに還るという意味で、赤いちゃんちゃんこを着るんだよな。

 そういえば、岡森、六角と今やってる稽古は、新作なのに、とても懐かしく、我々の演劇人生がスタートした頃の感覚に何か似ている気がする。


 もちろん単なるノスタルジーなんか狙っちゃいない。
 劇作還暦に相応しい大傑作に仕上げるつもりだ。

 ついでに言えば、つかスタイルの俺流、処女作は未だに、人々に語られることの多い傑作なのである。

 しかも縁深き厚木で初演し、その後に、我らの聖地・紀伊國屋ホールに乗り込む。
 これは劇作人生の総決算なのである。

 少しでも多くの人に見て頂きたい。
 

 
 

 
 

 

 


 
 
 

 
 
 
 

 
 
 








未来に期待する

 生まれて初めての ふぐ は声優の神谷明さんに奢って頂いた。もう30年以上前の話。

 神谷さんがその頃、演劇誌テアトロに掲載された私の初期戯曲を読んでくれて、興味を持ってくださり、連絡を下さったのだ。 六角を主役にしていた ツトムシリーズの『まほうつかいのでし』てやつ。
 その後、更に初期の作品『優しいと言えば僕らはいつもわかりあえた』を、お仲間を集って上演して下さり、そこに岡森も出演させて頂いたりして、以来、私と劇団を贔屓にし、熱い応援をして下さった。正式な劇団後援会会長である。

 で、ある日。横内君、何か食べたいものあったら言いいなよ、食べに行こう。とお誘い下さつた。当時、まだふぐというものを食べたことのなかった私は、ふぐって、食べてみたいっす。と遠慮なくおねだりしたのだった。

 その時の、ひれ酒の香ばしい香りは今も鼻の奥の記憶に残る。

 この時に限らず、神谷さんには、劇団ぐるみで何度もご馳走になった。20人の宴席ぐるっとゴチになったりして。さすがに我々も恐縮はしていたのであるが、ペコペコする我々に神谷さんはこうおっしゃった。

 いいんだよ、僕もそうだったから。先輩たちにいつも奢って貰って来た。先輩にお返しする代わりに君たちに返してる。だから君たちもいつか、後に続く人たちに奢ってあげればいい。そういう時はきっと来るから。

 今も心に刻み付けている。

 そんな神谷さんには、今回『リボンの騎士』の横内ナイトという日の終演後、アフタートークでご登壇いただくことになった。同じく声優の重鎮の伊倉一恵さんと一緒なので、いかにも『映画版シティハンター リメイク』の便乗企画のようだけど、伊倉さんは『歓喜の歌』のボランティアコーラスにも参加して下さったぐらい、扉座を愛して下さっている方で、単なる便乗ではないのである。

 それはともかく。

 その後、若者に期待しない時代が続いたと思う。
 大きな原因は景気が悪かったことだ。
 そして大人たちが意地汚くなり、若者を排除して利をむさぼろうとしてきた。他人事ではなく、私も自分たちのことで精いっぱいで、後進を育てる云々なんてことの出来る余裕がなかった。

 そんな若造に回すぐらいなら、俺がやる。

 といって、場を奪っことさえあると思う。
 おはずかしい。
 
 思えば、私が若者だった頃はバブル前夜から、全盛期で。
 余った金があった。神谷さんはその頃、すでにスターだったから話は違うかもだけど。スターでもないサラリーマンでも接待費が使い放題だったりして、劇団の広告ぐらい十万円ぐらいならいつでも出せるよ、なんていう営業さんとかザラにいた。

 私が初めて戯曲執筆の依頼を受けたのは 旧セゾン劇場 である。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった西武グループの文化戦略の柱だった。そのオーナーの堤さんが、この新しい劇場では 徹底的に新たなモノに挑む。出来上がった大作家なんかに依頼するな。外れても構わないから、これからの新鋭に期待して、場を与えよ、と号令をかけていた。(このセゾン劇場が、今もお付き合いのある手塚プロとかフジテレビの方々に繋いでくれた)

 だからこそ、私のような新人にそんな大役も回って来たのだった。そして一人前扱いをして下さった。
 一流ホテルのスゥイートルームで、演出家と合い、ルームサービスを取りつつ、ホンの打ち合わせをした。それは『きらら浮世伝』という作品。
 
 先に言った演劇誌テアトロも随分肩入れしてくれた。当時編集者だった小松幹男さんが、私の作品をとても気に入ってくれて、

 とにかく書いたら持ってきて。しばらく載せ続けるから。

 なんて言ってくれて、本当に二年間ほど、書く度に掲載してくれた。その恩も忘れられない。

 厚木では、厚木高校の先輩たちを中心に、文化会館での扉座公演の支援をする市民応援団を立ち上げて頂いた。
 行政や大企業に頼り切らない文化活動やろうぜ、と仲間集めをしてくれて、それがもう二十年近く続いている。その間に、市や文化会館も大きな力となってくれて、
 子供たちの演劇塾『あつぎ舞台アカデミー』もスタートしてもう7年になる。(今回の リボンの騎士 に大役で出演する 加藤萌明 はこのアカデミーに小6から通っていた)

 少なくとも私とこの劇団はたくさんの立派な大人たちに、期待をかけて貰って、場を与えて貰って来たのだ。そしてたぶん、幾つかの大失敗や、無礼無作法に目をつぶって貰って来た。

 それやこれやを思うと、いつまでも時代や景気のせいにしてる場合ではないと思ったんだな。そろそろ本気で、素晴らしい大人たちから貰ったチカラを、次世代につなぐこともしていかきゃ、と。

 多少、無理すりゃチェーン店のふぐぐらい奢れるぐらいにはなったけど、それ以上に、
『若者たちに期待する』というその精神をね。継承しなくちゃね、と。

 未経験な若者たちって、本当に何も知らなくて、危なっかしくて。
 こいつらバカじゃないかと思うことも多々あるんだけど。
 その頃の自分の姿は見えてないからな。その時の大人たちに言わせれば、きっと、お前もその程度だったぞ、ということだろうしな。

 何しろ景気が悪いからね。加えて、これは自分が歳とって分かるんだけど、
 歳とった、本人は、驚くほどその自覚がないんだな。まだ出来る、まだ可能性があるとか思って、ジジイ、ババアをやってる。

 そんなジジイやババアを倒して、のし上がれ!という言葉はある意味若者への叱咤激励として正しいけど、権力や金や名のある大人たちが、そんなこと言って若者を潰しちゃいけない。そういうみっともないジジイやババアもたくさん見て来たから、他山の石としなければと、私は自分に言い聞かせますよ。

 とまあ、そんな気持ちで今回の、チョーーーーーー若返り扉座公演
 『リボンの騎士 県立鷲尾高校演劇部奮闘記』に取り組んでいます。

 時々、腹立たしいほど、下手くそめ、とか思うんだけど。
 自分だって、どこかで人をイラつかせて、ハラハラさせて、チャンスを授けて貰ってきたんだから。その未熟さこそが、可能性なんだと信じて、これが未来に繋がる、と期待をかけ続けるんだと、己に言い聞かせて稽古しました。
 
 この土日、立派な大人たちに支えられて、厚木市文化会館にて開幕。その後、座高円寺で20日から7月1日まで上演します、幸せなことに、若者に期待する立派なお客様方のご声援で、売り切れ日が出ています。ご予約はお早目に!!!