三津五郎さん

 そんなに接点はないんだ。
 でも、勘九郎さん時代の、故勘三郎さんに連れて行って貰ったどこかで、ご挨拶しお話ししてから、何度か人の宴席なんかでご一緒した。

 で昨年のちょうど今頃、
 バッカーズという組織から賞を頂いて、その授賞式に行ったとき、会場で待ち構えて下さっていたのが三津五郎さんだった。
 財界の重鎮の皆さんがやっている会で、演劇界とは遠いので、私が間を取り持つ係なんですよ、まあ、楽に楽しんで行って、と仰って緊張する我々をリラックスさせて下さった。
 会のメンバーだったのかな。

 その時、4月には歌舞伎に復帰するんで、時間が合えば、我らも上演予定だった『つか版・忠臣蔵』を紀伊國屋に見に行く、と言って下さった。
 いつか、扉座出してよ、とも。

 その穏やかさ、気取らぬ明るさ、でもその奥に決してブレない、気品の柱が一本スーッと通っている。
 大きな人だな、と思った。

 勘三郎さんは常に激しく燃える裸火だったけど、三津五郎さんは、人を火傷させずに、美しくガラスの中で燃えて、辺りを照らすというか……

 その時も闘病中だったはずだけど、そんな気配は微塵も見せず、ひたすらにこやかに、優しく仲立ちの役目をして、我々をいろんな重鎮に、ご紹介下さった。

 頃合いを見て、楽屋などお尋ねして、あの時のお礼を申し上げなくては、と思っていたのに。
 ついでに扉座に出て下さいと、言ってしまおうと目論んでいたのに。

 無念である。
 今はまだ、ちゃんと語れていないけど、もう少し時が経ったら、語ろうと思っているけど、故勘三郎さんとのことも無念である。
 そもそも、私が歌舞伎界と、というか、小劇場を超えた広い世界と、つながりを持つことが出来たキッカケは、勘三郎さんとの出会いのお陰だ。
 その後、おもだかチームに参加するようになって、何となく別チームみたいな気配になってしまってたんだけど……
 
 どこかで、一度ゆっくりお話しさせて頂きたいと思いつつ、ついに果たせなかった。何かやらせて下さい、という単純なことでなく、勘三郎さんとの出会いから始まって自分の身に起きてきた数々のこと。人と出会って感じたこと、
 今、私が抱く芝居への思い……
   
 稽古場のサヨナラパーティで、己の来し方を、しみじみ感じた折も折。
 また出会う、別れ。
 
 人との出会いのありがたさを、今一度噛みしめておりまする。
 三津五郎さん、その節は大変お世話になりました。
 それがつい一年前なのが、何とも寂しい。

 あなたのように大きな人になりたいです。
      

 
 



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