そのヒゲ刈って、晒してやろうぞ!
博多から、帰郷。
無事にというか、良い感じで、四か月公演の最後の海に、一味は船出した。
1日のゲネにはHKT48 のメンバー35人が駆け付けてくれた。前日にホークスタウンの常設小屋が閉館になり、ちょうど移転の準備期間。タイミングよく、多くの子たちが見に来れた。
去年の8月、その名も博多少女歌舞伎と名乗って、彼女たちが立ったのと同じ、その博多座の舞台。
でも、忙しい彼女たちは、ほとんど博多座の舞台というものを見たことがないという。
ことに歌舞伎は、初体験。
ま、今回は純正歌舞伎とは言い難いけど。
実は彼女たちが、去年の舞台でやったことの多くは、スーパー歌舞伎の手法に基づくものだったので、どうしても見せてあげたかった。
で、猿之助丈はじめ関係各位にお願いしたら、招いて良いとお許しが出た。
しかも、どうせなら、前の方に座わらせてあげよう、とまで言って頂き、特等席にメンバーがずらりと並ぶことになった。
松竹座から多少の変更点はあったけど、3か月公演を経て、もはや根幹は揺るがぬものになりつつある、舞台だから、余裕があった。
むしろ、俳優諸氏も、この珍客を面白がってくれて、いろいろサービスしてくれた。
ま、2幕終わりのテーマソングのシーンなんかは、無人の客席相手では、逆にやりづらいからな。こちらも、彼女たちがいてくれて助かる部分はあったのだ。
バッタリとか、大向こうとか、
専門用語も使った去年のHKT公演だった。開演前にしっかりレクチャーして、観客に掛け声なんかかけて貰う趣向だったのである。
だから、彼女たちも、それらを知ってはいたわけだが、ついに
本物の バッタリ などを目撃、体感したのだった。
本当に、バッタリってやるんですね、って、そこからかよ! とのけぞりそうになる感想もあったけど、
モノはワンピースだし、原作のファンも多くいる彼女たちの食いつきは非常に良くて、笑い、驚き、泣き、心底感激してくれた様子だった。
こんなすごい劇場で私たち、やらせて貰ったんですね、と。
涙目で誰かが言ってくれたけど、
先にこちらがあって、その後に、彼女たちの舞台があれば、もっと良かったよな。
とはいえ、そこに気付かず終わる可能性もあった訳で、良い機会が出来てよかった。
きっと未来の何かに繋がると、私は信じる。
このゲネの後、彼女たちが一斉にツィッターとかで、スゴイとか、良かった!とか発言を連発してくれたので
博多座は、どんな宣伝を始めたんだと、一部で疑いや非難の声も上がったらしいが
そんな仕掛けはないということを、ここで申し上げておく。
ただただ、コレを見せたかったんだ。
芝居の面白さ、歌舞伎の凄さ、熟練の俳優たちの芸とパワー……
彼女たちはそれを受け取り、本当に、良かった!と思ってくれたんだと思う。
そりゃ同じライブに生きるパフォーマー同志だもの、感じ合えるに決まってる。
で翌日は初日。
何度もリピートしている感じのお客さんもいたけれど、何せ大きな博多座。それだけで客席が埋まるはずもなく、圧倒的に初見だという地元のお客さんが多い感じで
反応がとても新鮮であった。
俳優たちも、もう飽きても不思議ではない120回オーバーの芝居を、初めての舞台のように渾身の力で演じていた。
何よりも、皆が、この舞台を楽しんでいるという気配が、客席にドンドンあふれ出してくる。
実際、皆、楽しそうで、2幕の終わりなんか、出なくても良いはずの幹部俳優まで、必死に早替えしてアンサンブルになりすまし、舞台を走り回っている。
で最後は、熱い熱い拍手と掛け声。
実は、東京の時とちょっと似ていて、博多座のチケットは、日によってはまだ少し残っている。
松竹座は、少し小ぶりな小屋なこともあって、ほぼ完売状態でスタートだったようだけど。
けど、初日のそのすぐ後、帰り際にもう一度見たいと、新たにチケットを買うお客さんが現れたりして、急速に動き出したと聞いた。
ほぼA席しか残ってなくて、しかも、エッと息を呑むような高額で、おいそれと知り合いや友人たちに、見に来てよとも言い難いものなんだが
それでも、その価値がある、或いは、これでも安いと言ってくれるお客さんまでおられるようで
心の底から感謝しつつ、ああ、この作品に出会い、携わることが出来て、私は幸せであるとしみじみ噛みしめた博多の夜であった。
しかし後ろ髪ひかれつつ、下船。
私は次の航海へ向かう。
ブログのタイトルは、意味不明だと思うけど。
そのうち明かします。