新たな季節
何から書けばいいのか、分からないぐらい、月日が経った。
蜷川さんの訃報は、秋田角館で、舞台稽古中に聞いた。
東京からのスタッフが大勢集まって、アレコレやってる最中だった。
かなり、心配だと聞いていたので、もう覚悟は出来ていたけれど、イザその時が来ると、胸が詰まるものだ。
私なりに少なからず思い出がある。お仕事もさせて頂いた。
思い出すのは、初めてお会いした時のこと。
28ぐらいの時。『きらら浮世伝』という作品の本打ちをしている時だった。
隣の部屋で、蜷川さんのグループが、その年の瀬にやる予定の、松坂慶子さんのディナーショウというやつの打合せをしていた。
同じプロデューサーがやってた仕事で、打合せの合間に紹介をして貰った。
蜷川さんは当時、すでに時代の寵児である。
しかし、サッと立ちあがって、蜷川です、と言って下さった。
その後、仕事などするようになって、気づいたのだが、喫茶店とかで、ウェイトレスがコーヒーとか持って来るだけで、ありがとう、と必ず仰る。
怒鳴ったりするところばかり、広められているけれど、実に礼儀正しい紳士だった。
あの時の蜷川さんは、五十半ばという頃か。ちょうど今の俺の歳なんだと思うと、愕然とする。こっちはそろそろ、晩年に向かうところかも、なんて気持ちでいるというのに。
思えば、若々しくカッコ良かった。
そして駆け出しの若者に対しても、きちんと向き合ってくれる、巨匠だった。
遠く及ばずながら、この私も、若者を紹介された時、サッと立つ人であろう、そしてウェイトレスに、ありがとうと言う人であろうと、思う。
三月ま終わりから、四月、五月と、スーパー歌舞伎があったり、横浜アカデミーの発表会があったり
秋田で、わらび座全国公演『げんない』の稽古をしたり。
いろんなことをしながらも、ずっとPCを携帯し、隙さえあれば、新作書きに没頭していた。没頭しすぎて、いろんな局面で、うわの空な気配もあったと思う。それは非常に申し訳なく、この場を以てお詫び申します。4月からは、正直、頭から、郵便屋さんがずうっと消えずに暴れておりました。
時間がない時は、真夜中に起きて、書いてみたり、久しぶりに徹夜もやった。それで睡眠が乱れまくって、先週あたりは、まともに寝たという記憶がない。一回布団に入っても、ふと考え始めて、また書きだしたり……
当然行く先々で、顔色がさえず、心配されていた。
実際に、かなり苦しくて、今回は、きっちりと命削った、実感あり。
『郵便屋さんちょっと2016』という、つかこうへいコラボシリーズ第2弾。
それを何とか稽古開始予定に間にあわせ、明日から、稽古入り。
今回もまた、幻冬舎・見城さんからの熱い応援もあり、つかさんの7回忌でもあり、
どうしても、成功させたい作品である。
先人たちの生きざまに、見習い。
今この時の、芝居作りに、全身全霊をかける。
渾身の舞台をお見せします。