ジパング青春記 その2
伊達政宗が黒船を作って、欧州に使節団を送った。
その壮大な歴史ロマンを綴りながら、
先の大震災と大津波の悲しみと、復興への願いを舞台作品として語ることができた。
つくづく、この巡り合わせは、奇跡的なものだと思う。
わらび座新作『ジパング青春記 慶長遺欧使節団出帆』は、4月15日に角館・わらび劇場で初日を開けて、すでに公演中。
しかし初日の翌日からさまざま用事が立て込んでいて、私は終演後に帰宅していた。
で2週間ぶりに、もうひとつのロングラン『げんない』のキャスト入れ替え稽古をするために角館に行って、舞台を見た。
この短い間でも、若いキャストたちの進化が目覚ましく、
またダンスとか歌とかの各所も熟成が進んでいて、完成品を見た気がした。
でしみじみ、思った。
おそらく、私がわらび座と組んで作る作品として、これ以上のものは出来ないのではないかな。こんな奇跡がまた起こるのはきっと数十年後だろう。
自作の最高峰というつもりはなくて、今後も、更にマスターピースを目指して扉座や、他の現場で仕事は続くんだけど
わらび座にしかできないこと。
長い長い座の伝統芸と、今の技術、新たな感性との、よき出会い。
しかも今この時に、作って、この劇場で人々に見てもらうべき内容。
数作の共同作業を経て、各スタッフと築いた相互理解と連携、その完成度。
集まった俳優たちのすばらしさ。(その未完成な若々しさも含めて)
今の進行中の『げんない』はじめ、今までのわらび座、坊っちゃん劇場での仕事も、面白かったと胸を張っていうけれど
わらび座じゃなきゃならなかったか
今この時に、ここでやるものか、見せるものか、と深く問う時、この『ジパング青春記』ほどのオンリー感、タイムリー感はないだろうと思う。
ま、それぞれに異なる製作意図があるんで、それはそれで大事なのだけど。
今回の『ジパング青春記』の奇跡感は、それらの諸事情をちょっと超えて、はるか遠くまで届きそうな気がするのである。
それも十年後にとか、いつの日かではなく。まさに今、この時に。
たとえば大津波という言葉にしても、復興というキーワードしても
エンタテイメントの中で扱うには、決して簡単な言葉じゃないが、
この劇場にミュージカル作品の中の言葉として響かせるには、去年でも来年でもなく、今この時がベストなんだという気がするのである。
早すぎても、生々しすぎるし、遅くなると刺さらない。
そしてそのベストが、今ここで生まれていると思うのである。
もしこれが傑作と人々から呼ばれて、将来再演を重ねたとしても、きっと今この時にわらび劇場で放たれているほどの、強い光は発さないだろう。
また、とても素晴らしいから東京でお金をかけて、有名俳優、実力者を集めて上演しようと試みても、今の俳優達、この一座、劇場で見る以上の感動は産めないだろう。
私は今この舞台を 日本中の人々に見てもらいたいと、真剣に思う。
もしこれを東京でやってたら、もっと反響がスゴイだろうな、と少なからぬ経験から予測する。
桜の季節を迎えた、わらび劇場ではゴールデンウィーク中も善良で温かいお客さんたちがそこそこ見に来てくれてはいるけれど
皆、誠実で慎ましやかな、方々だ。
とても穏やかに、静かに、見守ってくださっている。
祭りの時しか熱狂しないという東北の人々。
復興大臣に、侮辱されても、口汚く言い返すなんてことはまったくしないで、微笑みと共に話題を、美しい話へとすり変えてしまう。
どんな困難でも内側に感情を抑えて、じっと耐えぬく強さが、かの地の美徳と私も愛するが、
しかし芝居だって祭りだからさ。
ロングランではあるけれど、限りある生ものだからさ。
できればもっともっと熱くメッセージを発してくれたらいいのにな。
私は、滅多にここまでは言わないんだけど
そして、評判とは自分で立てるものではなく、人が立てるものだと思って、常にやせ我慢してるけど。
皆があまりに静かだから
今回は思い余って、自分で叫びます。
煽ります。
こんな舞台、いわば惑星直列のような、何10年に一度起きるかどうかの奇跡だよ。
それが今、角館で生まれて、毎日上演されてるんだよ。
だまされたと思って、見てみて欲しい。
そしてもっと騒いでほしい。
ここにこんな劇場があって、こんな舞台が毎日真摯に上演されていることを、人々に伝えてほしい。