#声だけ天使 の試写を観た

 人のカラダというものは、よくできたもので。
 江戸のマハラジャ が千秋楽を迎えた日曜日。2017年の大山脈を、これで走破したぞと思ったその矢先。まさに歓喜の打ち上げのさ中から、にわかに喉が痛くなり、声がかすれ始めて。おかしいなあと感じ。

 それでも一昨日、昨日と、出なくなった声で、だましだまし予定をこなしたものの、ついに昨夜きっちり発熱。
 大山脈を超えて、さて、ここからお花畑で遊んでやる!とはやる気持ちとは別に、カラダが休め、ボケ、とセーブをかけてきた。

 そんな昨日、声を失いつつ、AbemaTVで1月からスタートする連続ドラマ 
  #声だけ天使 の関係者試写に行ってきた。まだ第1話の完成品、一歩手前のものだけど。
 
 2017年を想定外の大山脈にした原因の仕事。
 完全オリジナルの、1時間連続ものの全10話シナリオ執筆である。
 オリジナルだから原作はない。ひたすら産み出す仕事。
 今年の1月はじめ、サイバーエージェント社長・藤田晋さんとお会いした時には、何も決まっていない真っ新な状態。
 主演も、監督も未定。ドラマの尺さえ、未定、回数も未定。もちろん中身も。
 ただ若い人を引き付けたい、既成のテレビドラマと違う作り方をしたい。
 第一歩はそれぐらい。
 そこから企画を決めて、構想を構築して……3月、『ジパング青春記』で秋田角館に行ってその稽古をしつつ、空き時間で第1話の執筆を始めて。
 それやこれやで、ここに至る。

 実は、ドラマという分野とは、もう無縁で生きていくのだろうと思っていた。
 10数年前、フジテレビで一度、経験させて貰って。決して失敗とは思ってないけど、大当り、とは言えぬ結果で終わり。
 その後、多少のオファーはあったけど、やるしかない!とは思えなくて、舞台の仕事を優先させてきた。
 結果がでなかったのは視聴率。
 でも、それ以上に、終わってみての充実感が乏しかった。その時も何夜も徹夜して、追いかけて来るスケジュールと格闘し、最後にはやり切った感はあったんだけど。
 何か未消化な物があって。
 一言で言えば、それは、
 俺じゃなくても出来たものだな、これは。
 という感覚だった。
 
 その時は、初めての連ドラで、謙虚に臨もうと思った。知らないことだらけなんだから。周囲のプロたちの意見をしっかり聞いて、その中に自分が生きるようにしよう、と。
 その時はやたら会議があった。セリフの一つ、動きの一つについて、プロデューサーやディレクターと会議して決めていった。
 で結果から言えば、その中で生き抜こうというのは、己の過信と傲慢であって、そんななかでひたすら周囲と合わせていこうなんて姿勢でいたら、俺の個人的パワーなんか吹き飛ばされてしまう、ということを思い知ったのだった。
 結果、私は明らかに混乱していた。自分の意見を見失った。

 これ、俺がやりたいことだったのかな……

 作り手がこう思ってしまうことは、敗北である。
 それでも、良い結果が出ていたら、まったく違う感想が持てただろうけど、そこもイマイチだったから、今後は無理してここに居なくてもいいかな、という感じになった。
 心の奥底に、一抹の寂しさと、悔いを残して。

 支えてくれたスタッフは皆、良い人たちだったし、良いものにしようとして意見を闘わせたことに嘘はなかったからな。ただ、俺が貫くべきものを貫かなかった、俺が挑戦しなかった、という悔いである。
 違うかもだけど、ゴール前の決定機で、たとえ失敗しても、俺がけり込むべきボールを人にパスして、結局得点できなかった、みたいな後悔かな。

 今回引き受けるにあたっては、そこだけは悔いを残さぬようにしようと決めた。
 もちろん会議はあるし、私の考えとは違うアイデアや構想がそこで生まれて、それを飲み飲む局面は少なからずあった。
 実際、出来上がったシナリオは、当初のプランとも随分違っている。

 ただね、その局面局面で、けり込むべき時は俺がけり込む、という姿勢を続けて、実際にそうシナリオに書き込むことは貫けたつもりである。
 常々、映像は最後は監督のものだと思っていて、シナリオは監督、俳優たちへのラブレターみたいなものだと感じるんだけど、とりあえず、俺の思いはまっすぐに伝えたぞ、と。
 そういう意味で、2度目となった今回のチャレンジでは、前回とは違う闘い方が出来たと思っている。

 そんな思いが詰まった、#声だけ天使 第1話の試写であった。
 自分の仕事だから、何といってもインチキ臭くなるので、多くを語るのは辞めとくけど。
 
 まず尾形竜太監督は素晴らしい手腕を発揮していると思う。
 俺の古臭い言葉使いを、上手にポップな絵の中に溶け込ませてくれて、現代的な命を授けてくれている。どこを切り取っても、絵が弾んでいて、セリフのないシーンでも、常に何かを語り掛けて来る気がした。伝えたいことがあるんだ、という力を感じた。
 そして、俳優たちがさ。
 とにかく、見たことのない人たちばかりで、主人公ケンゾウは、例えば月9で活躍した○○君とか、○○のCMの人じゃなく、この話のケンゾウ以外の誰でもなくて。
 しかも、激戦のオーディションを勝ち抜いた人たちばかりだから、それぞれにちゃんと芝居が出来て。
 このドラマを紡ぐために存在してる感が、ハンパなくて。
 有名俳優が出演しないことが、ショボいのではなく、むしろ豊かなことだと感じさせてくれる。これは声高に、自慢したくなることだ。

 フジテレビ・エグゼクティブディレクターの河毛俊作さんに、先日、偶然お会いしたんだよ。で立ち話してね。
 実は久しぶりにドラマのシナリオ書いて、と報告した。
 で、誰でやるの?と当然、役者の名前になるよね。
 河毛さんがご存知なのは、うちの岡森ぐらいじゃないですかね、オーディションで選ばれた、ほぼ無名の人たちです、と言いました。
 すると河毛さんがね。

 それが本来あるべき姿なんですよ、と。

 結果が、どう出るかは分からない。
 AbemaTV 社運がかかってますとか、スタッフはよく言ってて、重い責任を感じざるを得ないのではあるが。

 俺に悔いはない、と思った。

 
 

 

 
 

 
 

  

 
 
 
 

 
 
  
 
 

  
 
 
 

 















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