「無謀漫遊記」 つかスタイルの俺流ドラマ
処女作「山椒魚だぞ!」は十六歳の夏休みに書いて、たしか17歳になった10月辺りに上演したと記憶する。
高校演劇の神奈川県・県央地区大会である。
それから40年。56歳から57歳にかけ、誕生日をまたいで書いたものを、平成最後の10月27日に上演する。
40年前と同じく、同級生の岡森諦と後輩の六角精児が出演する。
しかも、処女作と同じように、つかこうへいスタイルで、ほぼ裸舞台で、BGMをバシバシかけて、言葉と肉体だけで勝負する舞台で。
幻冬舎の見城徹社長の熱狂的なご声援を受けての幻冬舎プレゼンツ・シリーズは、ずっとつかこうへい原作でやって来た。見城さんが、つかさんの盟友であったことが大きな理由の一つである。
ただ、今回はそんな節目であることと、40年を経て、今も尚、岡森、六角とともに芝居作りをしているという、何の運命なのか分からぬ因縁を踏まえて、どうしてもオリジナル作品を書き下したかった。
それで見城さんにも、少しわがままを言って、その挑戦を認めて頂いた。
まあ、今までのも、ほぼ横内のオリジナルみたいなものだしな、期待するよ。と言って下った。
実際、扉座上演の「つか版忠臣蔵」「郵便屋さんちょっと」は、私がリライトした部分が大きくあるものである。
とは言え、一から発想して書くのは、ずいぶん違う仕事になる。
なにより、それでつまらなくなった、とは絶対に言われたくないから、プレッシャーも大きかった。
しかし、こっちも四十年これだけやって来た男である。
たいていの仕事は十年もやれば一人前扱いはされるものだろう。
それを四十年なのである。
そのキャリアをぶつけて何としても、傑作を書く!と心に銘じて、春先から構想だけは温めて来た。
結局、水戸黄門を土台にはしたから、完全なるオリジナルとは言えないかもだけど、当然のこと、そのドラマは水戸黄門のそれとは似て非なるものであり、また、つか作品とも違うものだ。
演出は、つか式と言うか、つかスタイルでやるので、印象は前2作と似てくるはずだし、それを狙うのだけど。描くドラマの肝は、かなり違う。
そこがお客様にどう受け止められ、どう感じて貰えるか、期待と不安の入り混じるところではある。
ただ、何せ、処女作がほぼ同じような手続きで出来上がり、それが面白いとおだてられて、この道を進むことになったのである。
つかスタイルの俺流ドラマ は実は私の原点なのである。
人生一回りは六十年と言うけれど、劇作人生、そんなに長くは続かないだろうから、さの三分の二ぐらいで、劇作還暦でいいんじゃないかな。
還暦って、赤ちゃんに還るという意味で、赤いちゃんちゃんこを着るんだよな。
そういえば、岡森、六角と今やってる稽古は、新作なのに、とても懐かしく、我々の演劇人生がスタートした頃の感覚に何か似ている気がする。
もちろん単なるノスタルジーなんか狙っちゃいない。
劇作還暦に相応しい大傑作に仕上げるつもりだ。
ついでに言えば、つかスタイルの俺流、処女作は未だに、人々に語られることの多い傑作なのである。
しかも縁深き厚木で初演し、その後に、我らの聖地・紀伊國屋ホールに乗り込む。
これは劇作人生の総決算なのである。
少しでも多くの人に見て頂きたい。