前進か死かイボか #無謀漫遊記
この時代、公的助成ではなく、小劇団が企業のスポンサードを受けて演劇製作しているなんて、稀有も稀有な事例なので、よっぽど横内が上手く幻冬舎の見城徹社長に取り入ったに違いないという、憶測が流れるのもむべなるかな。
しかし残念ながら世界で一番商売が下手な我らに、そんな目覚ましい才覚はなく、
ホントのホントで、一所懸命やってる舞台『つか版忠臣蔵』を、六年前に、見城さんがたまたま見て下さって、とても気に入って下さり。
こういう舞台をもっと多くの人たちに見せたい。支援するから、続けるつもりはないか?
と言って下さってスタートしたのである。
疑うなら、見城さんの最新著書『読書という荒野』を呼んで欲しい。ご自身の手で、そのいきさつが綴られている。
だから、これはガチの勝負なのである。
舞台上で、幻冬舎の名や、見城さんの名を連呼したりするけど、それは、つかこうへい先生がよくやっていた、つかスタイルの踏襲だし、そこに込める気持ちは、ゴマをするというよりも、このご時世に支援して頂いていることへの深い感謝の思いである。
そして問題は、常に舞台の仕上がりだ。
我々にはこの支援を受けて「こういう舞台を作り、見せ続ける使命」があるのだ。
それが出来ぬなら、幻冬舎シリーズも継続はない。
正直、ゴマすりで成立する仕事の方が楽である。
だって、傑作じゃなきゃイカンのだよ。
麻雀で言えば、満貫縛りの場況である。高い役でなきゃあがれない条件のゲーム。
しかも、見城さんは割と公的な場所でも、横内は天才です。とか発言して下さっている。
この上なく有り難い話だけど、そこにかかるプレッシャーというものは、諸君、君たちに想像できるかね?
私、こう見えて結構、腹の座った所があって、イザとなると、俺が腹斬りゃいいんだろ、みたいなヤケクソ精神モードには入れるんだけど。
やっぱりカラダは正直で。
この本の執筆中、なぞのイボが、額(ブッダ・ポイント)とアゴ下という、身体のセンターラインに突然出現した。書き上げた時に医者に掛かって、液体窒素で殺して貰ったが、今もその痕跡は残っている。アナル方面は春先に退治したからか、上の方に今度は出て来た。
ストレスは、確実に襲い掛かっている。
俺なんてそんな立派なヤツじゃなく、つまらんイボ男ですぜ、とカラダが主張するのである。
もちろん、どんな作品だって、生み出すことは常に巨大なストレスの掛かることではあるんだけどね。
幻冬舎プレゼンツの場合、その期待の露出具合がハンパないから、やり過ごすのが大変なんだ。それがイボとなる。
シェイクスピアが、エリザベス女王のリクエストを受けて、何本か書いたと伝えられているけれど、気分的には、同じである。
偉い人だよ、シェイクスピア。
しかし、諸君、そういう大舞台で勝負させて貰えるなんて、作家冥利に尽きることだものな。まして劇作生活40周年だよ。ここを逃げちゃ、ダメだろ。数だけで言えば、シェイクスピアよりも、たくさん書いて来た作家なんだしな。
そんな闘いの結果を、間もなく皆さんにご覧頂くのである。
だからって、特別に熱を込める訳ではなく、いつも通り、精魂込めて創り上げるんだけど。
40年これだけやって来た男が、今尚しびれつつやってるガチの勝負。
一人でも多くの方に見物に来て頂けたら幸いです。
腹斬る覚悟も出来てるしな。
稽古も大詰め。