22回目の LOVELOVELOVE
学芸大学前の駅そば。千本桜ホールという小劇場で、第一回目を上演した。
当時から、いろんな俳優学校の発表会などで、私の戯曲を上演して頂いていた。
時々、見せて貰っていたけど、若者には難しいなと感じることが多かった。
それに、うちは芝居を創る、ということに拘って来た劇団だ。劇作家の私が主宰して運営しているんだから当然なんだけど。
研究生であっても新しいモノをクリエイトするのが我らのやり方だ、とした。
みんなに見せ場を上げたいからオムニバスにしてな。最初の頃は、ほぼ私が面倒みて、作品作りをしたものだよ。徐々に手伝ってくれるメンバーが現れた。
今や2・5次元ミュージカルの第一人者、茅野イサムも、loveloveloveで演出家の勉強をしたと言っても過言ではない。
今、北海道の雪の町に泊まり込んで市民劇を演出している、犬飼淳治も。
サンリオ・ピューロランドの KAWAII KABUKI を私と一緒に創り、横浜のマグカル公演などを担当している、鈴木沙里も。
あつぎ舞台アカデミーの ドリームドリームドリーム を毎年まとめ、今年ついに
LOVELOVELOVEのメイン演出を勤めた、串間保彦も。
(※扉座一同、軟弱・串間の起用を去年から心底心配したおかげで、串間も腹斬る覚悟で臨んだようで。ブレず、怯まず、串間版の22回目、なかなか気合の入った良い仕上がりになっています)
みんな茅野の後を追って、loveloveloveで学んで、演出の仕事を覚えて来た。
彼らのように演出をしないまでも、若手は皆、裏方を手伝うことになっている。そこで芝居のアレコレを、また別の角度で体験する。何よりも支える側になって、支えられることの意味を知る。
出演者はもちろんのこと、扉座劇団員も学び、鍛えられる場所なのである。
第一回目の頃、犬飼は入りたての新人だった。加えて、何をやらせても粗雑でピント外れだったから、劇団員から疎まれて、近々に辞めさせようという相談さえまとまっていた。
今思えば、辞めさせなくて良かったけど。
その犬飼がその時、自主的に手伝いをしに来ていて、なぜか研究生たちには滅法優しくて。電車賃にも事欠いていたくせに、初日、全員にメッセージ付きのリボDを配るのを目撃してしまった。
何物でもない若者たちの不安や、震えを、よく分かっていたんだろうね。自分が誰よりもそうだったから。
案外、良いヤツなんだな、と思ったのを覚えている。
その後、すぐに取り掛かった本公演の稽古では、犬が見せたその輝きはすっかり消え失せ、恨みがましい目で私を睨み返す癖に、何やらせても同期の、山中崇史には遠く及ばない、ダメなヤツに戻っていたが。
そんな風に先輩が、ほぼボランティアで後輩を支えると言う伝統も繋がっていて。
研究所のなかった頃の劇団古株と、lovelovelove世代との間には、また違った劇団の記憶が刻まれているのである。
このLOVELOVELOVE、20回ぐらいで終わりにしようとも思っていたのだけど、続けることで趣が増すようで、もう一度、もう一度と繋がって。
ついに22回めである。
そしてまた、いつものように泣かされるんだろう。
でもこの涙は、本当に良い涙。
将来、地獄に堕ちた時、閻魔様にLOVELOVELOVEを頑張って続けたことを話したら、少しは楽な地獄に回してくれるんじゃないかしら。