中間演劇協会 設立のお知らせ
先日、劇作家協会の教育部というところで会議をしていた。私は教育部部長である。戯曲セミナーの今後の運営方針などの大切な相談が幾つかあったが、たちまち脱線して雑談に花が咲いた。
私と、ラッパ屋・鈴木聡氏、新派の斎藤雅文氏、丸尾聡氏、チャリT企画・楢原拓氏がいた。
雑談内で、鈴木聡氏が、中間演劇協会の設立を提案した。
なんじゃ、それは。
あのさ、マサフミさんなんかは商業演劇の王道の人で、僕も横内さんも、そっち方面の仕事もしているけど、一方で小さな劇団の活動も続けていて、実は今の劇作家協会は、いわゆる小劇場系主宰、座付き作家が主流なわけだ。丸尾さんや楢原さんもそうだね。
そこからすると、チケット代一万円というのは、ちょっと違うなと感じる世界でさ、まあ五千円前後のチケット代が妥当かなという感じだよね。
でもね、とんがった前衛的な舞台で、演劇を見慣れていない人が観て、さっぱり分かんなかったよ、演劇の世界では今コレが傑作と言われているんだけどね。みたいなのとも、違うなあと我々は思うわけでしょ。
普通の人が観て、楽しかった、面白かった、と言って欲しいじゃない、我々は。
ここらからは、どこからが我々なのか、よく分からなくなるんだけど、鈴木の聡さんがそういうと、そうなのかなあと巻き込まれてゆく。
少なくとも、扉座とラッパ屋は、商業演劇ではないけれど、演劇関係者じゃない誰が見ても楽しめる舞台づくりを明確に目指していることは確かだ。新派も当然そうだろうけど、あちらはやはり一万円コースだからな。
そうそう気軽な娯楽じゃない。
かつてはここに、マキノノゾミの劇団MОPも加わっていたと思う。
ここらの線引きは、分かるようで、分からない。論理的には極めて曖昧だけど、なんとなく共感できる。我々の世界観。ここでも我々って、いったい誰のことなのか、怪しいこと限りないが……
とりあえず我々の特色は、大舞台、商業演劇の仕事もするけど、大元は小劇場で、特に大きなハコや派手な組織に対して、まったく劣等感を持っていないこと。
芝居に馴染んで活動をスタートした頃、芝居のさ中に弁当食べさせる商業演劇は馬鹿にしていたし、先行する新劇もアングラも、肌に合わないモノとして、気持ちよく無関係でいた。
もちろん今はリスペクトする部分はしてるし、多大な影響も受けているし、そこでの仕事を頂いたら、楽しみながら、全身全霊を尽くして作品作りをしているんだが。
鈴木の聡さん、通称・荻窪の師匠の話は続く。
昭和の頃、小説の世界に中間小説というジャンルがあったじゃない。純文学に対して、もう少し柔らかい大衆寄りの娯楽の読み物でさ。だったら大衆小説と言えば、良いんだけどもう少し、オシャレにしたいので、中間なんだよね、というさ。
演劇にだって、大衆演劇はあるけど、同じく小劇団でも、あれと我々は違うでしょう。
一万円じゃないんだよな……前衛でもないんだよな。かといって大衆演劇でもない。
だから中間。
でさ、この中間演劇こそが実は一番、演劇に分厚く必要なはずなのに、みーんなコレをどう解釈すれば良いか、そこそこの専門家でさえ、分かっていない気配があるじゃない。
いっそ協会つくりますか、中間演劇協会。
その主旨には大いに賛同した。ぜひ欲しい、中間演劇協会。そして中間演劇をもっと広めたい。
もっと普通の生活者を劇場に呼ばなきゃいけないよ。最近、どこの劇場に行っても、演劇人と演劇人崩れとしか会わないよ。
しかし、この名前はどうなんだ?絶対に流行らない感じがしてならないんだが。
ちなみに師匠は博報堂のレジェンド的なコピーライターでもあった人だ。
「師匠、2・5次元!みたいな鮮やかなネーミングないすか?」
「うーん、でも我々には中間がしっくり来ない?」
「確かに……」
「しかしまあ、広告業界的に言えば、鮮やかでないものは売れませんね」
諸君、どう思う?中間演劇協会。