扉元年
四月一日の発表だから、ひとボケあるかと思ったら、まんまだった。
新元号。
まあ、こんな時に、官房長官がひとボケして、それを国民が楽しんで笑い転げたとか、そんな国はもはや、我々には遠い別のファンタジエンですね。
そうなって欲しい気もしてて、そのために私は芝居作ってるんだけどな。
もっとも、その瞬間、結婚記念日で妻と共に映画館に居て『ダンボ』を観ていたから、映画の後でチェックしただけである。
ダンボについては、かなり早めで、いきなり空を飛んじゃって、その後、どうするつもりなんだ?と心配になったが、今どきの映画らしく、盛り盛りで話を広げていた。
子供の頃、大好きだった物語で、それをティム・バートンがリメイクするので楽しみにしていたんだけど。私が好きだった成分が減ってたな。しかも、この監督らしくない予定調和の甘さを感じた。耳の大きなマイノリティ、この監督お得意の設定のはずなんだがな。
万人に向けたエンタテイメントのなかに、強烈な個性を生かすのは、本当に難しい。エンタテイメントとしては、特に文句はないんだけど。この人は常に違いを生み出す監督だから、期待も大きいんだ。
他山の石と致しましょう。
それはともかく
我々には、扉元年です。
この四月一日の夜は座高円寺で、今年度のラインナップ紹介イベントがあり、その後、座談会があり、シライケイタさんや長谷基弘さんとともに私も参加して来た。
その席上、私はこの先10年の展望を語れと言うお題に、
還暦で辞める予定だった劇団を、とりあえず期限を決めずに続ける。
私が心身の健康問題もしくは借金で倒れるまで、無限継続だ、と宣言して来た。
4月1日ではあったが。
ちょうど1年前の、今頃だ。私はワンピース歌舞伎で大阪にいた。
猿之助さんの大けがからの奇跡の復活公演だった。その時の、興奮は1年前の日記に詳しく記した。
その記念日を超えて、さて帰京。そろそろ、劇団の今後について真剣に考えて終わらせ方の相談をしなきゃな、と思うタイミングだった。還暦まで3年半のところ。
マジで、さて次の課題だ、と思いつつ帰り支度をして。
心斎橋から新大阪までタクシーに乗った。
そのタクシーの運転手さんが話しかけて来た。
「東京ですか?私も東京でしてね、M商事で働いてました……」
大一流企業である。
何も尋ねてないのに、タクシードライバーは語る。
「金も出来たんで。60少し前、早期退職で妻の地元の大阪に引っ込んだんです。あとはのんびり過ごそうと……しかしねえ、お客さん、2年でしたね。我慢できたの。退屈でした。ダメでした……それでこうして運転手です。とにかく活動してたくて」
「……」
「60で終わりは早すぎる」
まあ、こちらがそれを気にしているタイミングなので、ありふれた言葉がこちらの胸に刺さっただけだろうが。
大人のサテライトを始めたじゃないですか。
すみだパーク演劇部。
人が集まるのか、半信半疑だったんですよ。
しかし、予定数をはるかに超えて、50歳以上の人たちが集いました。
皆さん、若者以上に、熱く意欲的で。
あの時のドライバーは預言者だったのか。
それとも私を更なる地獄に誘う悪魔か。
しかし、時代を創るのは、我々だからな。
令和でも扉でも、それをどんな時代にするかは、我々次第なんだから。
まもなく、百鬼丸、稽古が始まります。
わらび座 ジパング青春記 のツアーカンパニー稽古のため、逗留中の角館にて。