その後のこと

ひたすら、ホン書きの日々。
今年はこれからずーっと、書く。書く。書く。
横内がなんか静かにしてるな、と思ったら、たいてい書いてる時だ。
演出の時は、賑やかである。

もっともキャラメルボックス活動停止のニュースが流れた時は、
いろいろ思うことが溢れて止まらなくなり

Twitter で発言を続けた。思いつくままに、まとまりなく、怒ったり、心配したり、
昔話したり、提言をしてみたり。
何だか黙っていられなくなった。
痕跡は今も残ってるので、興味のある人は見てみてください。横内謙介、本名でやってます。

だってキャラメルボックスの動員力があって、それでもやり繰りできないなんて
それじゃ、本当に劇団を続けていくのは不可能であるという死刑宣告みたいなものだもの。
折しも、私は限界まで扉座を継続させていくと、決心したばかり。
極めて複雑な心境だった。
具体的な内容は、Twitterと重なるから、ここには書かない。

ただ大きな収穫もあってね。
それは、真面目に演劇の話をしたら、それを真剣に聞いてくれる人たちが思いの外に大勢いたと言うこと。
Twitterを始めたのは、周辺の若者たちから、座頭はFacebookを一所懸命にやってますが、今時、そんなの見てるの、オッサンとオバサンだけすよ。
本気で何か広めたかったらTwitterかインスタやって下さい、と指摘されたからだ。

だからスタートは昨年十一月。新参者もいいところである。
で、いろんなことを呟いてみたけど、この日記では使わない主義にしてる画像とかも取り入れて、やってみたけど。
結局、このひと月、マジに発言しないといられない気分で書き込み続けた、一連の演劇がらみの呟きが最も多くのリアクションを呼んだのだった。
画像なんかない、ただの、演劇(やってる)オジサン の嘆きと、訴えである。
知らぬ間に拡散とかもされていた。

ちょっと希望を持った。
同志はいるんだ、と思った。

劇団やってるのは、自分の勝手なのである。
ピンで売れないから、群れてんだろ、他所から呼ばれる仕事がないから自営なんだろ。
そういう言い方も出来るんだ。
喰えてないならアマチュアだろ。
それも言えてる。
でもな、劇団が演劇界に果たして来た役割は存外に大きいのだよ。
それは今も変わらないと私は確信している。
それぞれに売れることがゴールなんてものじゃないんだよ。

こう言い切るのは、劇団がなくなっても自分は、この業界で食ってく自信があるからなんだけどね。なんなら劇団辞めてフリーの活動に専念した方が、楽に仕事ができる状況なんだ。
でも、たとえ自腹を斬ってでも、これを続ける理由があると、今は思ってる。

そんな思いに共感してくれたり、共有してくれる人が、思いのほか大勢いたことが嬉しかった。

先日、九州戯曲賞の選考会で、博多に行った。審査員に佐藤信さんがいてね。
私が苦手として遠巻きに眺めるだけにしていた、アングラ世代の大家だよ。座高円寺の芸術監督だから、ずっと顔見知りではあったけど、初めてゆっくりお話ししたんじゃないかな。

劇団の勝負は、どれだけ応援者を集めるかだよね。
お客と言う名だけど、実質は応援者だよね。
興行だけじゃ、劇団維持は不可能だよ。

黒テントの最盛期、一公演八千人を集客して、それでもこのままの維持は困難だと判断した時の実感だよ、と教えて下さった。
そこでどう考え次の展開を生んだか、と博多の夜の話は続いて、私としても共感したり、知識を得たりしたわけだが、それはともかく。

劇団と言う、この極めてやっかいなものに対する、思いや考えは、かなりの歴史を持っていて、様々な人がそこで翻弄され、悩み、闘ってきたのだということだ。

そして、大きな足跡も残して来た。

始めた頃は、劇団なんて
青春の思い出として終わるものだと思ってた。
それが今や、人生そのものになっている。

キャラメルボックスという伴走者……は不遜だな。前を行く最も元気だったはずの仲間の姿が、ふわーと消えて、
大きな虚無感みたいなものに私も苛まれたのだが。

Twitterで大きな反応を得て、私なりに、活動の重みを噛みしめた、このひと月だった。
結論として、希望は失っていない。

人の受け売り出ですがね、

絶望しきって死ぬために、行けるとこまで行く。









































 




















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