扉座
 
 

 ただ扉座に入りたい、というだけの人に興味はない。劇団の枠を超えて、あまたの才能ある演出家や劇作家、俳優仲間たちから信頼され、必要とされる俳優。舞台を超えて、テレビ、映画の分野でも活躍し、多くの人たちから愛される俳優。そして国境を軽々と越えて、海外の表現者たちと仕事が出来る俳優。
 そんな俳優になりたいという野心をもつ人たちに来て欲しい。今は未完成でいい。芝居が下手でも歌も踊りも出来なくてもいい。いろんな技術はここで教える。その未完成から始めて、何者かになってやる、という熱い気持ちだけ持ってきて欲しい。
ただ覚えておいて欲しい。演技の基本はあくまでも舞台だ。舞台の芝居を知らない役者はこれからの時代、通用しない。
 君がたとえテレビドラマを目指すとしても、映画俳優志望でも、あるいは声優が最終目標でも。こと演技というものを扱う表現に携わろうとする限り、生の舞台を避けていては絶対に本物にはなれない。
 それは今、テレビドラマを支えている人気俳優たちを見ていれば分かるだろう。経歴を調べればほとんどが舞台出身の俳優たちだ。そうでなくモデルやタレントから始めた人たちも、どこかで必ず舞台にチャレンジしている。
 サッカーの基本が走ることだというのと同じぐらい、自分の肉声と肉体だけを頼りに、生身の観客の前に立って表現することが演技の基本中の基本なんだ。みんなそれを分かっていて、実践しているのだ。
 ただ姿が美しいだけのモデルやタレントが、カメラに向かって笑ってみせるだけのことを演技と言っていられるような呑気な時代が終わった今、君たちが目指すべきは、ただひたすらに芝居の出来る俳優になることだ。
今はテレビドラマも主役級以外の新人はすべからくオーディションを経て選定されるようになっている。昨年『ダンドリ』というドラマのシナリオを書いた私は、テレビの連続ドラマというものの現場を初めて見て驚いたのだが、そのオーディションはとても公正でオーソドックスなものだった。そこで求められていたのはまっとうな演技力だった。どんなに容姿が美しくても、面接でユニークなことを言い、監督やプロデューサーを笑わせても、そこで与えられた簡単なセリフに命を吹き込んで生き生きと演じられないモデルやタレントは、次々と落とされていった。所属事務所の大きさなんかも関係なかった。
 本物が求められる時代なのだ、としみじみと思った。
 修業を飛ばして成功はないということだ。でもそれは努力が報われる実力の世界がようやくやって来た、ということでもある。有名人の子供でもなく、とびきりの美男美女でもない、多くの俳優志望の人たちにとっては、むしろ望むべきことだろう。
 今この時のレッスンの積み重ねの先にチャンスがあるのだ。
 今年は、去年まで設けていた年齢制限を撤廃した。芝居をすることは、ただ青春の思い出じゃない。一生を賭けて取り組む価値ある営みだ、と私は信じている。
 たくさんの個性との出会いを楽しみにしている。

※横内謙介の研究所への思い、考えが、現在発売中の「せりふの時代」冬号(小学館発行)に掲載されています。是非、ご一読ください。