扉座
 

 僕が最初につかこうへいの舞台を観たのは、1975年位のVAN99ホールの「ストリッパー物語」だったような気がする。その前に「郵便屋さんちょっと」を上演しているはずだが、その時は、僕はつかこうへいを知らなかった。角川書店に入って僕が配属された文芸誌『野性時代』編集部の近くにあったホテルグランドパレスのバーで初めて面会し、すぐに意気投合した。僕は25歳、つかこうへいは27歳だった。
それから僕はつか芝居に夢中になり、毎日稽古に顔を出し、本公演になると、これも毎日通い詰めた。「熱海殺人事件」、「松ヶ浦ゴドー戒」、「戦争で死ねなかったお父さんのために」、「初級革命講座飛龍伝」、「広島に原爆を落とす日」、「寝盗られ宗介」、「蒲田行進曲」など、担当編集者というよりも追っかけファンとして各芝居の台詞まで暗唱出来るようになったが、「郵便屋さんちょっと」だけは、なぜかつかこうへいが封印してしまい、舞台を観ることは出来なかった。
 僕がつかこうへいの舞台に熱狂し、新宿紀伊國屋ホールに通い詰めている時を同じくして、高校生だった横内謙介もまた、紀伊國屋ホールに厚木から通い詰めていたのだったと後から聞いた。つかこうへいと、劇団「善人会議」(後の扉座)を創設した横内謙介を初めて引き合わせたのも僕だった。横内謙介が、名作「夜曲−放火魔ツトムの優しい夜−」を引っ提げて、紀伊國屋ホールに進出を果たした時、僕は、「他人の芝居は観ない」と言って嫌がるつかこうへいを無理やり引っ張り出し、幕が下りた後、つかこうへいが「横内謙介は身体が弱いのか?」とぽつりと呟いたのを覚えている。
 その横内謙介が、幻冬舎Presents「つか版・忠臣蔵」の次の作品として、「郵便屋さんちょっと」を演るという。「つか版・忠臣蔵」があまりにも素晴らしかったので、僕は、三たび「つか版・忠臣蔵」をと思っていたのだが、横内謙介の決意は固かった。ならば、ままよ。つかこうへいの演出、セリフ、間合い、音楽など、全てを再現しながら、つかこうへいを突き抜けたオリジナルに挑むという横内謙介の大技に、胸が高鳴る。
 「つか版・忠臣蔵」と同じように、僕を歓喜のるつぼに引きずり込んでくれ。そして僕にスタンディング・オベーションをまたさせてくれ。頼むぜ、横内謙介!

幻冬舎 代表取締役社長 見城 徹