1982年  9/11・12
『優しいといえば僕らはいつもわかりあえた』
(下北沢ザ・スズナリ)  

模様劇場の残党、横内、岡本、六角、杉山の四人で 『善人会議ーBaby Face Theatreー』を結成。事務所は横内自宅。当然、横内の父母も電話に出たが、外部から劇団にかかってくる電話なんか滅多になかったので混乱はなし。ネーミングはアングラに挫けた反省から。開き直って軟弱路線を行くために敢えて善人を名乗った。大学の友人たちがテニスやスキーに興じるように、ボクらは楽しくお芝居をやろうね、ちゃんと卒業もしようねと約束した。そのヤワな態度が祟ってか、土日で3回だけの公演なのに日曜に台風18号の直撃を受ける。総観客数は355人。チケット料金前売り1000円。

終演後の舞台にて

1983年  1/9〜18(隔日 )
『冬のコンサート -優しさを持て余した、僕たちは-』

演出 吉川博宗(下北沢ザ・スズナリ)  

六角精児・襲名披露公演。この公演より、山地は六角を名乗る。文学座の演出家の卵に演出を依頼、横内は演出の仕方を学び、俳優陣は本格的な役者修行を。しかし公演中、観客数27人という日があった。今でもこれが史上最低入場数記録。

←襲名披露記念。右端のサングラスは横内

1983年5/2〜5
『優しいといえば僕らはいつもわかりあえた』
(下北沢ザ・スズナリ)

台風直撃の旗揚げを不憫に思ってくれた劇場支配人(80年代小劇場史伝説の人・スズナリの酒井さん)が再演のチャンスをくれた。岡本、この公演から岡森諦を名乗る。

1983年10/7〜10
 『The Story of Hard Boild THE PARROT(鸚鵡)』
(高田馬場・東芸劇場)

大学生活には支障を来さぬよう演劇をやるという誓いもどこへやら、一同、かなり活動にのめり込む。杉山はこの頃、法政大学を中退。東芸劇場はその後、バブル期に閉鎖、取り壊された。

←その時のDM