劇作家らが抗議

明日はいよいよ、『百鬼丸』の公演スタート。
無料の公開リハーサルだけど、気持ちは本番と同じである。この後、いきなり札幌公演なので、ここからエンジン全開でいかなきゃいかん。
明日のチケットが手に入った幸運な千葉市民は、明日の舞台をしかと見て、もし気に入ったら、その感激をくれぐれも自分だけの心にしまわず、近隣の人々への大宣伝を心がけ、今後の公演の盛り上げに協力して頂きたい。

ところで
本日、ニュースになっている、新国立劇場の芸術監督問題。
私も抗議文に署名した演劇人の一人になっている。
美浜で稽古があったから、今日の会見には出られなかったけど。

劇作家協会で、作家仲間たちから、劇場内の不透明な運営について、いろいろと話を聞き、芝居書きの端くれとして、黙っているわけにはいかぬと、主旨に賛同した。
一方的にクビを切られたカタチになった鵜山仁さんも、次期芸術監督に内定している、宮田慶子さんも、同時代を生きてきた演劇仲間だし、ともに誠実に仕事をしている人だと知っているので、どちらが監督でも良いと個人的には思っている。

しかも私は、この劇場からは、ハブンチョにされている立場なので
さらに、どうでもいいと言えば、どうでもいいんだけど、

演劇に対する愛情が欠如している感じの権力者が、天からいきなり降ってきて、芝居者になんか何も言わせない、みたいな傲慢なやり方で、しかるべき手続きを吹き飛ばし、強権的に、そして好き勝手にことを推し進めるのは、許し難いと思うのである。
いろいろ聞いた詳細は、敢えてココでは伏せるが、

演劇人を完全にナメきった、その独善的な運営姿勢は、時代が50年逆戻りしてるんじゃないかと思えてくる、反文化的なものである。
芝居者である以前に、国民として哀しく、情けない。

しかし
我々が、こんな行動をとると、だから芝居者は偏屈だ、だとか、口うるさいとか、そういう意見も出てくるだろう。

でも少なくとも私が知る範囲では、まったく政治的ポリシーに曖昧で、演劇活動以外の運動というものにアレルギーを持つ、超ノンポリ男の私が、そりゃ、おかしいでしょ、と加わってしまうぐらい、呆れ果てた話なのだ。

良心を持つ、演劇人、演劇ファンは、ぜひ今後の動向に注目して頂きたい。
この問題は、ココにたくさんの人の目が注がれることが何よりのパワーになると思う。

にしても
宮田慶子さんは、突然こんなマイナスの話題の中心にされてしまって本当に気の毒だよ。
素晴らしい芝居仲間の宮田さんの名を、こんなことで傷つけている、それも深い罪である。


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