本日舞台稽古
グローブ座、舞台稽古。
遠足みたいな気分で起きる。
しかし昨日は、友のことは、忘れて、虎に専念。
こっちはまだ遠足気分、ほど遠く、ひたすら密林に分け入り、あるいは、嵐の海原を航海し、幻の虎を狩らんとする冒険の気分。
もちろん今は、期待ばかりが膨らむ、友も、スタート時は、殺し合う 敵になるかもしれない、日々もあった。
強敵と書いて、とも と読む。それは北斗の拳。
タイガー&ドラゴン てのはあったけど
タイガー&フレンド の日々。
オレの中で、虎と友が せめぎあう。
ちと
ビジュアルでイメージしにくいが。
ともあれ、2日半かけて、金曜日の初日に向かう。
少しだけ中身ばらし。
劇中で、いくつか、中也の詩が語られる。
中也の詩は、一見メルヘンチックなテイストなものも多いけど、
ちゃんと読んでみると、かなり難解である。
情景はイメージ出来ても、つながりが、分からなくてそのイメージが霧散することが多いし、
そもそもの情景が分からんこともある。
トタンがせんべえ食う
って何だ。
どういう景色よ。
しかし、芝居にするために、稽古で毎日、役者が詩を語ってくれた結果、
噛めば噛むほどというか、簡単に意味が分からない分だけ、その時々に、しみじみと味わいが出てくる体験をした。
詩というもの。子供の頃とか学生時代とか、
宿題とかで、むりやり書かされて、以来、ピンとこないまま、なんだけど。
コレは深く深く、大人の営みなんだ、と齢、五十三にして気付いた私であった。
大人の人生と言葉が、出会う喜び、哀しみ、である。
言葉と人生をまだよく知らない、子供に分かるはずがないし、書けるはずもない。
宿題にするのは、無茶だよ。
ガキが触れても、詩の本質を永遠に掴みそこねるだけちゃうか。
実はこの舞台、
詩のシーンが、大きな見せ場である。と思っている。
まあ、演劇というものは、そもそも詩の親友なのだけど
その相性が、よく分かる。
歌いはしないが、ミュージカルのように。
一気に時間と空間が別モノに輝き、世界が広がる、予定。
で、そうなる手応えが稽古では確かにあった。
シェイクスピアは、そんな詩もたくさん書いて、詩人としても超一流の人。
ザンネンながら、私にそのチカラなく。
でも、この機に 詩もやってみるかと、本気で思い始めている。
少なくとも、学校の宿題とは違うモノが書ける気もする。