くたびれている場合じゃないが
午前中から、取材のための、舞台稽古みたいなのがあり、
本番前に、一回通した。
で、ついに初日開幕。
やっぱりあった、小さなミスのアレコレ。
私が見落としたものも、いろいろ。
あとの宴会で、検証し合って、お互いに気付いて。
えっ、あんな大事なセリフ、飛ばしたの、なんて。
しかしほぼ笑い話。
無我夢中、一所懸命やって、テンパったり、したことだから。
何しろ、演出家が気付かないことだったりするんだ。
こちらも緊張してたのかもしれぬ。
全部終わって、楽屋でしばし呆然とし、その後乾杯の会に、皆で繰り出したワケであるが、
この頃には、老人イボジジイは、何だかぐったりなっていた。
語り合うチカラもない。
ただへらへら笑っていたと思う。
ちなみにイボは今、はげかかったカサブタ。なんか、変な形状でぶら下がる感じなので、絆創膏で押さえている。
とりあえず任務をやり遂げて、心地よい、ぐったり感ではあるが、
俳優スタッフはこれから長い、公演へのスタート。
一応、厳しい顔もしておいたけど、
内心はもう、ひたすらグタグタであった。
よくここまで来た、もういい、イボジジイ、少し休め、みたいな。
ところで、
こういう宴会で、最近、よく
スタッフさんに、打ち明けられる。
高校時代、あなたの脚本演じました、とか。
あの時、スズナリで見ました、とか。
あの初演、裏を手伝いました、とか。
学生時代演劇部とか、元俳優なんて人も多いし、
で稽古場でお会いして、おっ、横内だ、と思ってました、なんて言われる。
たいがい初日の飲み会とか、千秋楽の打ち上げとか。
しかもその帰り道、とかに。
だったら早く、言ってよ。
なんだけど、皆、奥ゆかしく、礼儀正しいから、たいがいそういうタイミングなんだ。
老人イボが出来るほど、長くこの世界にいるからこその、ご褒美でもあるし、ひたすら懐かしく、思い出話に花が咲く。
そしてふと、オレはしっかりやったろうかと、仕事ぶりを顧みる。
おっ、横内だ、と思いつつ、
時に私の手足となり、無理難題を実現してくれるスタッフたち。
その人たちを、ガッカリさせなかっただろうか。
そう思った時には、もう遅く。
反省ばかりが残るけど。
今回の『フレンド』では、かなり大変な転換とか、着替えがある。
スタッフは、秒単位で、裏を奔走。
往年の『離風霊船』みたいに、景色をガラッと変えて、お客さん、驚かせたいすねえ、と舞台監督が言ってくれて、実際、そうしてるんだけど。
そういう劇団名が出て、イメージを共有することが出来る我ら。
ああ、同じ時代の演劇の川をそれぞれに流れて、ここまで来て、
今この舞台を創ってるんだなあ、と実感する。
『フレンド』で描いているのは、戦前の文学青年たち。
でも、それは
小劇場時代の、僕らの姿でもある。
愚かにして狂おしく、愛おしい、青春時代だ。
そんなモノも、詰まってます。
※公演のパンフレットも、いいね。
まつすー の写真集みたいなのでも、いいはずなのに
真摯に中身に寄り添ってくれて、俳優の一人一人に愛情を注いでくれて。
中也はもちろん
資料の乏しい、安原善弘氏のことも、しっかり紹介してくれている。
中也研究のためにも、たぶん役立つ。