父の葬儀は無事に終わりました。ありがとうございました。。
昨日、無事に父・正純の通夜と葬儀、初七日を終えました。ご多用の中、ご会葬頂きました皆様には、心より御礼申し上げます。また供花や弔電もたくさん賜りました。まことにありがとうございました。
もう立てなくなった父が何度も、俺の最後の花道だからな、と自らの葬式について語って、おどけていましたが、役者でもない立場ですし、身内としては笑えないジョークとしておりました。しかし皆様より賜ったお花に埋まり、春爛漫の如く華やいだ式場を見て、家族親類一同、劇団員一同、父の夢がかなったなあ、と感激致しました。
私としての心残りは、初めての喪主と言う立場で、立ち回り方がよく分からず、御参列の皆様に充分なご挨拶が出来なかったことです。喪主の指定席のような場所に、沈思黙考の上、じっと座っているのが礼儀のようなのですが、
お棺の中から、こっちはいいからお前、受付に行ってお客様の対応しろ、お清めの席に気を配れ、これでは料理が足らなくなるぞ!と父の言葉が聞こえて来るようで、気が気ではありませんでした。
そもそも、通夜、葬儀にご会葬の皆様を、お客さんと呼ぶ感覚でいる、父と私がおかしいんだと思いますが。
何しろ、これが花道だと思っている人の葬式なので、何だか特別の公演でもやってるようでありました。
喪主と言うポジションが極めて不自由で、自分のプレイスタイルには向いてないな、とつくづく思いました。次の時は、システム変更を願い出ようと思います。
今後、ゆっくりにはなりますが、皆様に、父のことをご報告しつつ、ご挨拶出来たらと思います。何かと行き届かなかった、ご無礼、どうかご容赦くださいませ。
実はもう一つ、悔いがあります。
それは喪主のご挨拶です。通夜の夜は新ユリのホテルに泊まって結構、細かい構成を考えて、しかもメモは見ずにスピーチするという決意で、当日に臨みました。
式半ばぐらいからは、そのことで頭が一杯になっていたのですが、さて、いよいよその時に向かう段、喪主挨拶の前には、最後のお別れと言う儀式がございます。
棺の蓋を開けて、家族親族、御参列の皆様が父に花を手向けて、お別れをするというクライマックスシーンです。
この後に、ふたを閉めて、出棺前に、いよいよご挨拶です。
しかし、このお別れの席でね……
みんなが、泣いてしまって。それも号泣で。家族も親族もそうですし、仲間たちも、ご会葬の皆様も、父に語り掛けて下さる方々、皆様が、泣いて下さって。
数え八十九の大往生で、むしろ目出度いと言う気分でいたのですが、父との別れをこんなに惜しんで下さる皆様のお気持ちに、
イカンイカンと思いつつ、すっかり持っていかれてしまいました。
みんなの涙を見ていて、込み上がるいろんな思いをコントロールできなかった。
「もっと冷静にセリフ言わないと、伝わらないよ。気持ちが上がっても、どこかでクールにいなさい」という、私ら演出がよくダメ出しする、あの感じだね。
泣くのはお客だ、お前が泣くな。
一回きりの大本番の葬式をナメてはいけなかった。
それでも頑張って、用意したことの趣旨は、だいたいお伝え出来たと思うのですが、
霊柩車に、位牌を持って乗って、火葬場まで向かう時間は、父と二人きりで、かなり凹んだ、反省タイムとなりました。
とても大事な一言を、飛ばしてしまいました。
これがもっとも言いたかったのに。
無念の思いとともに、ここで改めて、スピーチさせて頂きます。
前回の日記で、父の死についてさまざま書いた時、入れ歯のことを書きました。
死の前日、
「トゥモロー、いれば、さいご」という言葉です。
いれば、たのむ、というのは、妹の説では私の思い違いで、
「いれば、さいご」と言ったのが正しいようです。
だから余計に、最初は意味不明だったんだな。
「トゥモロー、居れば最後」って、明日、誰がどこに居たら、最後なんだ?死神の姿でも見てるのか?なんて、我々も混乱してた。
「明日 入れ歯 最後」……明日、入れ歯をいれてくれよ、最後の時に……
これが父の願いでした。二月に入り、もうお粥も喉を通らなくなり、入れ歯の必要がなくなったのでした。上下の総入れ歯を外したら、すっかりお爺さんの容貌になってて、
それが本人はとても無念だったようなのです。
若い看護学生が実習で付いてくれてたし、本当の俺はこんなじゃないんだ、という気持ちがまだ残ってた。食欲さえ、とっくになくなってるのに。そんな気持ちだけは、最後の最後までなくさなかった。
衣食住、より、気持ちの張りだよ。
そういう意味でサラリーマンより、芝居者っぽい感覚の人でありました。
明日、私は死ぬがね、その時に入れ歯を頼むよ。忘れちゃいかんよ……
俺は、そんな父の姿を良いと思ったんだ。この期に及んで、まだ明日を語る父の姿がね。
「たとえそれが己の死であっても、明日に期待して、ウキウキする、明日はきっと楽しいことがある、そう思って生きる」
父が死を通して、私たちに伝えてくれたこのメッセージを、これからも大事にしたい、と思った。
これがスピーチの趣旨で、ここまでは何とかお伝え出来たんです。
でもね、この辺りから、周りに響く、啜り泣きと嗚咽が、私の耳にどんどん入って来て、
笑いが欲しいと思ってジョークを言った時に、ううっ、という泣き声が聞こえて来るのに、焦ってしまって。
ああ、こんな時に、笑いはいらんかったなあ、と悔いたりして……
以下の言葉を忘れてしまった。
さて、その言葉の翌日、父は、うたたねでもするかのように、静かに眠りにつき、息を引き取りました。
こんなに穏やかな死があるものか。私たちはそう思いました。
病室は、厳粛な空気に包まれて。その時の父は、高僧と言うか、仏と言うか、ガンジーみたいな顔でした。やせ細って疲れは見えていたけれど、その中に豊かなモノが溢れていました。
静かに幕は下りた。
しかし、そこから看護師さんたちに、お色直しをして頂いたんです。シャワーを浴びせて貰って、髪をとかしてもらい、念願の入れ歯を入れて頂いて……
トゥモロー、入れ歯、最後……その意味が、ついに分かる時が来た。
入れ歯を入れて、シャワー室から病室に帰って来た父は、
さっきまでの神妙な顔と一転し、死人がこんな笑顔になるかね、というような晴れやかな顔で私たちの前に戻ってきました。
ありがとう、という最高の笑顔。
それは見事なカーテンコールだった。
私はその時、心の中で、我が父に拍手喝采を送りました。
カーテンコールという言葉を捧げようと思ったんだよ……
父の遺骨を実家に戻して、東京の家に帰る時、存外に綺麗だった星空を見上げつつ、セリフを飛ばした、無念の思いを語っていたら、妻が、ううん、とても良かったよ、気持ちはしっかり伝わった、と言ってくれたけど。
それは、俺たちがよく未熟な若い俳優にかける言葉だな。
プロならば、どんなに熱演しても大事な台詞を飛ばしちゃいけないと、思いました。
喪主ご挨拶のプロなんて、この世にゃいないだろうけど。
もっともね、妻が言うには、聞いてるこちら側も、みんな涙でグズグズで、それどころじゃなかったから、あれで良かったんだよ、と。
皆さんにそんなに泣いて頂いて、幸せだったね、お父さん。でもそれも、父さんが自分で築き上げた宝物だよね。
遺骨を抱いて帰る時、タクシーの中で母がポツリと言った。病室でお父さんに言われたのよ、と。
「人を喜ばせることを、忘れるなよ」