あながちに切なるもの

 あながちに切なるもの
 遂げずと言ふことなきなり

 遙か昔、私の浪人時代、浪人生活の座右の銘にしていた言葉です。
 通っていた予備校の名物先生が、授業中に、教えてくれたのだったかな……

 この言葉、実は『トラオ』で使っています。
 小学生にはちょっと難しいだろうとは思うんだけど、敢えて、言い伝えたくなったのでね。

 今日は稽古を休み、結婚式に出ていました。
 山田まりや さんと 草野徹さん のご結婚です。

 まりやさんと初めて会ったのは、忘れもしないスズナリで『無邪鬼』を初演した時です。
 当時FM東京で、山中崇志とまりやさんが、番組のDJをやっていた縁で、彼女にとって、小劇場というか、演劇と言うもの自体、初めての体験だった、と聞いています。

 グラビアのアイドルで、巨乳を売りにする、ちょっとおかしな少女キャラでした。
 当時16歳ぐらいだったのではないかな。

 でも、
 今日の式でも、語られていたけれど、それは生きるためのよすがなのでした。
 父親不在の家庭で、母と弟と3人で暮らすために、飛び込んだ芸能界なのでした。

 3人で暮らすために、まずお金を貸して下さいと、デビューするかしないかの時、15歳のまりやは社長に直談判したのだそうです。

 その頃の私は、何の夢の希望も持っていませんでした、と語っていました。

 スズナリで『無邪鬼』を見たまりやさんは、ロビーで売ってた台本を買ってくれました。そしてサインを私に求めました。

 当時売り出し中のアイドルですから、私としては悪い気はしなかったけど、セクシー路線で、おまけにまだほんの小娘でありましたから、
 まあ、どうせすぐに裸になって、やがて消えていくのだろうというぐらいに思っていました。

 15歳の女の子が、恥ずかしげもなく、おっぱいを売りにしている姿が、一部で顰蹙を買ってもいましたしね。
 
 山田まりやが来て、面白がってくれた、なんて自慢しても、横内さんも、大きなおっぱいが好きなのね、なんて言われておしまいだったりしたものです。

 しかし、その後も、まりやさんは、公演には必ず来てくれました。そしていつの間にか、我々の宴会にも混じっているようになっていった。

 そんな場で、ある時、私は打ち明けられます。

 私は、舞台をやるような人になります。
 
 と。

 初めて『無邪鬼』を見たときに、そう決めました。
 今はおっぱいしか売り物がないし、目の前のことを必死でやるので精一杯ですけど、
 舞台が夢です、いつか出して下さい。

 その後、彼女は劇場にいろんな人を連れてくるようになります。
 お母さん、弟さん、友人、マネージャーさんなどなど。
 そして真剣に口説くのでした。

 私はこういうことをやりたいのです。
 こういうことが好きなのです。

 それから数年後、まりやさんは、ついに扉座公演に出演しました。
 その後も舞台への思いは、ひたすら広がり、今やテレビよりも舞台の女優さんと言った方が正しいほどの、活躍ぶりはご存じの通りです。

 そしてついに、舞台俳優と結婚することになりました。

 私としては、苦労が多いから、出来れば俳優なんかではなく、医者とか、テレビマンとか、そういう方面でみっけられなかったのかよ、と正直思うところはあります。

 草野徹さんは、腕利きの俳優にして、素晴らしい男ではありますが、
 嫁に出す身(?)としては、役者、特に小劇場系の俳優はどーよ、と。

 でもね、
 本当に大好きで、憧れて、夢に見た世界で、
 大切な人に出会ってしまったんだよな。

 これはたぶん、運命なのでしょう。
 それも、自分でそれを必死に引き寄せた、宿命。

 今日の宴は、演劇人大結集でした。
 マスコミ的に出るのは、芸能界の方々の名です。

 でも、これは演劇界の宴だな、としみじみ思った。

 あの巨乳タレントの小娘が、十数年後、こんな存在の人になると、誰が想像したでしょうか。

 今日の美しい花嫁姿は、
 一人の女性として、大きな幸せを掴んだ姿であります。
 でも、
 それ以上に、夢をみつけた若者の、さらに遠大な、大いなる旅への旅立ちの姿に見えたのは、私だけでしょうか。

 弟さんが高校を出るまでは、自分だけの幸せは追わないと決めていたのだそうです。
 今日は、その弟さんの高校の卒業式でもあったのだとか。

 それだけの苦労が報われた日でした。
 何度も笑い、何度も泣いた、素晴らしい結婚式でした。
 その中で、眩しいほど輝いていた彼女には、今日、神様から特別なご褒美が届けられている。
 無信仰な私でさえ、そんなふうに感じずにはいられないほど、胸を熱くさせる何か満ち溢れていた。

 それと同時に、私は教えられました。

 あながちに切なるもの
 遂げずということなきなり

 であると。

 巨乳アイドルで、馬鹿なことやっている姿しか、テレビに映されていなかった頃の彼女が、いくら真剣に舞台への思いを語っても、たぶん誰も、それを真剣には聞いていなかったでしょう。
 また、無理に決まっていると、内心、思っていたことでしょう。

 だけど、彼女は、その状況を、少しずつ少しずつ、変えていったのです。
 根気強く、したたかに、あの手この手で。
 理解者と味方を増やしていって。

 今日の結婚式が、限りなく清々しかったのは、
 誰もが、ただのお付き合いではなく、心から彼らを祝福しに来ていたというところです。

 それはつまり、彼らが自らの手で創り出した、ホームの熱い声援の心地よさだったのです。
 
 お二人の幸福と、これからのますますの活躍を心からお祈りします!
 おめでとう!

 
 
 
 

  
  




 

 
 


関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

アーカイブ