チョイ真面目に
折りしも李大統領が来日していて、日韓関係を改めて考える機運が盛り上がっている数日である。
こちらも『お伽の棺』に取りかかってから、痛切に思うことがある。
この公演では、韓国人が出演するのみならず、台詞的にも日本語と韓国語が一部入り交じることになる。
そのために、否応なく、韓国語に触れる機会が増えた。
で知るのだが、この二つの言語の中に流れる一つの遺伝子。
最も大きいのは、言葉の並びが同じだということ。
異人たず が日本語を話す場面で、異人テイストを強くするために、
ワタシ、行くよ、アソコニ!
みたいないかにも外人チックな言い回しをさせようとして、ムーニィに止められた。
それは不自然だと。
韓国語と日本語は、語順はほぼ同じなので、とても奇異になってしまうと。
思えば、これは 謎の中国人 の話し方なのであろう。
実際、中国語の並びは、日本語と大きく異なる。これはワタシが大学で、第2外国語でちょっとやったから間違いないアル。
中国語の並びは英語に似ている。
けれど韓国語と日本語は、中国語と違う並びで、類似している。
しかも、発音がところどころで同じである。
アンニョン ハセヨ。
のアンニョンは 安寧なのだそうだ。
つまり、安寧ですか? と聞いているのだ。
ご機嫌いかが?そのものである。
準備!はそのままジュンビだし。
言葉を知れば知るほど、DNAの重なりを感じないわけにいかない。
たぶんこんなこと、両国語を知る人にとっては、何を今更なことなのであろうが、
無知蒙昧のワタシには、目からウロコ、耳から鳥肌 の実感である。
そんな二つの国がいがみあうのにも深い理由がある。大統領は、もう過去に拘る時ではないと、言ってくれるけれど、癒されることのない傷は残っている。
でも、
かつては、たぶん、血を分け合っていたという痕跡。
少しでも多くの人が、そのことに気づけば、
新しい絆がそれに結ばれるに違いない、と思う。
隣国の言葉。
今まで、それに全く関心を持たずに来たことが今更ながら恥ずかしい。
遅ればせながら、
今、アレコレと必死に学んでいる。