貫き通します
ぴあが、初日レポート(舞台の批評)を早速出してくれました。
大きな勇気をくれる、文章です。
http://www.pia.co.jp/news/hot/20070925_tobiraza.html
そんな中で、
犬飼の降板で、
大変お騒がせしております。
そして、ご心配もおかけしています。
申し訳ありません。
私が犬飼の入院を知ったのは、昨日の夕方でした。その夜、彼のお兄さんと連絡が付き、電話で話が出来て、詳しい事情を知りました。
頭の中で出血しているということで、絶対に動かしてはいけないと、医師が言っているということでした。
本人は、救急ベッドで、舞台に出なきゃいけないのだ、と言っていたそうですが、絶対に不可能だと言われたとの話でした。
まあ、お医者さんは普通そう言うモノですけど。
皆さん、ご存じのように『ドリル魂』は、躍動する肉体を第一の表現手段とするモノで、普通の芝居の何倍もの激しい動きを必要とします。
健康体でも、ギリギリの消耗をしてしまう舞台です。
私としては、せめて本人の顔を見てから決断したいと思いましたが、家族以外は面会不可という場所であることと、様子を見ている猶予もないことから、この時点で、犬飼の降板を決め、代役での善後策を講じる決意をしました。
まず考えたのは、今いる轟組メンバー内での代役です。
しかし、歌や踊りの部分はともかく、
在日三世で、別れた女房のところに思春期の息子を持つ、不器用な苦労人で、人情にあつい作業員・パク という役どころを演じるには、メンバーたちは、若く経験が浅すぎます。
緊急事態なのですから、贅沢は言っていられないのですが、
それでも、この役の芝居は『ドリル魂』の肝とも言うべき部分です。
安直に妥協するのは嫌でした。
そしてもう一つ、
こんな時こそ、更に前に進まなきゃいけないんじゃないか、と直感的に思いました。
せっかくここまでやってきた『ドリル魂』をたとえ不慮の事故のためでも、レベルダウン、スケールダウンをさせたくなかったのです。
サンシャイン噴水前広場でのミニライブで、見知らぬ方々からもたくさんのご声援を頂き、CDまで買って頂けた、その光景を目の当たりにした後だったせいもあります。
5千円しか手持ちがない、学生さんが、さんざん迷った挙げ句に、チケットを買ってくれた現場もこの目で見てしまいました。
扉座の名も知らず、たまたまライブを見て、面白そうだと思いなけなしのお金を出してくれたあの若者……
もちろん、我々を応援し続けてくれる皆さんのためにも。
それらの気持ちに何としても、百パーセント以上で応えたなくてはいけないと思いました。
犬飼が抜けることは痛手だけど、その痛手を補って余りある、良い方策はないものか。
大急ぎで、頭の中のキャスティングカタログをめくりました。
その一番目と二番目に出てきたのが、
我が積年の同志、岡森諦と茅野イサムの二人の顔でした。
岡森は、大河ドラマ「風林火山」とMOP公演の怒濤の連続が終わり、ちょっと小休止の時期で、また茅野も年明けから続いたさまざまな舞台の演出をやり終えて、一息ついたところで、
奇跡的に
スケジュールを確保することが可能でした。
これは一週間ずれていたら、適わないことでした。
二人とも、今からたった三日の稽古で、あの舞台に参加するということに、大きな不安を持ちながらも、
このピンチを乗り切るために、力を貸してくれることを約束してくれました。
特に芝居の部分での、パクの役を引き受けて貰いたかった岡森に、
今、君の力を貸して欲しいと言った時、
「稽古が足りない状態で、舞台に立つことは、自分のポリシーに反するし、何より不器用だから、そんなのは怖くて仕方ない、出来ることなら断りたい。
でも、断れないな……分かった。出来るだけやってみる」
その岡森の言葉を電話で聞いて、ちょっと胸が熱くなりました。彼とは、かれこれ三十年の付き合いですが。
長い付き合いでも、そうあることではありません。
それが、昨夜の11時です。
この気持ちも無にしたくない。
たんなる犬飼をなぞる穴埋めではなく、ここで岡森という俳優の芝居を見せてもらおう。
そう思いました。
それぐらい、この舞台に真剣に向き合ってくれることは、何よりも望むところです。
とにかく緊急事態だからと甘えたくないのです。
そこから私としての変更ブランを必死に考えました。
そのプランを持って、今日、事務所で、則岡クンや舞台監督、ダンスキャプテンの鈴木里沙と小牧祥子を交えて、打ち合わせし、岡森と、ダンスパートでのサポート参加してくれることになった、田島幸に資料を示しつつ、説明をしてきたところです。
早速、明日から、本番直前まで公演の準備と並行して、
このアクシデントを糧にして、さらに進化した『ドリル魂』を皆さんにお見せすることを目指すことにしました。
岡森も田島も今、台本と美浜の本番を撮ったDVDを見つつ、明日からの稽古に備えてくれています。
今、ここにおいて、私も他のメンバーたちも、もう前しか見ていません。
なくしたものを嘆いたり、悔やんだりするのではなく、今コレを新しくどう創り上げていくか、で頭が一杯です。
さらなる闘志を湧かせています。
私の書く芝居をよく見て下さる方はよく分かるでしょう。
私はいつも、登場人物たちに、辛い試練を与えてきました。
理不尽な、絶望的な、耐え難い困難とピンチ。
でも、そこからどうやって立ち上がるか、たとえ敗北に終わっても、力に限りある存在である人間が、どれだけ意地と誇りを示してみせるか。
三国志では『夢見るちから』と名付けていました。
それは、夢半ばで倒れても、最後の時まで夢を見続けることなのだと、猿之助は解説しました。
猿之助との仕事に限らず、私は、そんな人物たちの姿を好んでたくさん書いてきました。
それを甘い理想論とか、頭の悪いヒューマニズムみたいに批評されることも多いのですが。
自分がそんな風に書いてきたからこそ、今ココで逃げるわけにはいかないとも思うのです。
今この時こそ、自分が書いてきたものの真価が問われると痛感するのです。
と同時に、他ならぬ私自身が、それらの人物たちに励まされもします。
『ドリル魂』の歌もまさにそうです。自分で書いた歌が、私の背中を押してくれます。
「誰かが弄ぶような 創っては壊すその繰り返し……それでも歌おう、魂のドリルが瓦礫を砕く音に合わせ……」
「そこからまた立ち上がれ
この身一つで、拳 握りしめて
今日生まれたと思え……」
でも、私には幸いにも、
仲間がいます。
拳を握りしめただけの、この身に一つには違いないけど、
私の闘いは決して孤独じゃありません。
我々はここで、この劇団の底力を世に示してみせます。
ゼッタイに、凄いモノにしてご覧に入れます。
まあ、見ててください。
劇場でお待ちしています。