そんなことは言ってられぬが
2日前から、突然声が出なくなった。
何となく、風邪気味な一週間だったのだけど、
新水滸伝 の稽古場で、音探しのために、故加藤和彦さんの遺作を片っ端からかけつつ、台詞を言ってみたりして、あれこれ打ち合わせてしていたら、
声を使い果たしたらしい
歌舞伎役者たちは、熱演で調子やりましたねえ
などとニヤニヤしている。
調子をやる というのが声を枯らすという、業界用語だ。
熱演なんかしてねーけどな、と言い返す声がカスカスである。
前回の作品から、大幅な変更があるのに、加藤さんがいなくなってるから、やりくりが大変なのである。加藤さんがいたら、変わったので、新曲ヨロシクで済むのに。
加藤さん、死んでるばやいではありませんぞ
と何度、天に向かって叫んだか。神様は、追い返してくれぬか、ヨッパライのように。
そして
もう一方でついに昨日、アトムへの伝言 の顔合わせを執り行った。
ゲストと新キャストで、読み合わせ。
こっちも少し手を加えて、2度目の方も、楽しめるようにするつもり。
しかし、改めて読みを聞いていて
やっぱし、3月11日を隔てて、この作品のとらえられ方は、大きく変わったと言えるのではないかと思った。
お客さんに提出する前に、我々の問題としても。
先日あった、劇作家協会の会合で、珍しく鈴木聡氏が、極めて真剣なまなざしで
震災後に、作家もお客も変わったよね、変わらざるを得ないよね、
と言っていた。
まったく同意だ。そしてそれは、これから生まれる芝居だけのことじゃない。
たまたまだけど、
アトムへの伝言 というのは、科学のことを描いていて、
ここに登場する科学者たちは、人間としての正しい道と、人間の所業を超えるような科学的好奇心の間で、烈しく揺れているわけであるが
人間が今後、科学とどう付き合っていくのか。
これはとっても、今日的な問題である。
そしてそれはたぶん、初演の時より、今の方がリアルに響くことなのではなかろうか。
そんなことを思いつつ、
錦糸町の方も、声の回復を待って、ガンガン稽古していきたい。