危険な匂い

 昨日の雨、風は何だったのか、みたいな青空です。
 止まないアメはありませんね。

 昨日、嵐と闘ってご来場くださった皆さん、どうもありがとう。そして、楽しみにしていてくださりながらも、たどり着けなかった皆さん、ごめんなさい。
 見て頂けなかったこと、私たちもとても残念です。
 しかし、それよりお怪我や、お風邪、大丈夫でしたでしょうか。
 
 こちらは元気に、土曜日までやっております。
 まだお席に余裕のある回もありますから、どうぞよろしく。

 昨日の尾崎さんとの催しは、進行のワタシのグダグダさえなかったら、完璧なモノであったと思います。
 お昼に歌って頂いたのは、

 我々を再会させてくれた、加藤和彦さんの
 
 悲しくてやのきれない

 亜美さんも、ピアノで弾き語りするのは初めてだと言ってました。
 天国の加藤さんに捧げたいと、歌ってくれて。
 でもちょっと悲しすぎる曲だから、もう一曲歌わせて、とやって下さったのが

 手をつないでいて
 
 これは亜美さんの曲です。ワタシも、この舞台で、使いたい候補の曲にしていた曲でした。
 これは心が温かくなる歌。

 そして嵐直撃を受けた夜の回。
 電車が止まったりして、辿り着けないお客様が続出で、かなり空席が目立つことになってしまったのですが
 お昼の部で、帰れなくなってしまった方が、夜の部も見て下さったり、何より、皆さん、熱く応援してくれて、大きな手拍子などで、ダンスナンバーなど盛り上げて下さり

 2日続けて観て下さった、二十数年前、ワタシに最初に亜美さんを紹介してくれた恩人・神谷明さんなんかは、今日の方が芝居は良かった気がしたぞ、なんて言って下さいました。

 多分に応援の意もありましょうが、ちょっと寂しく感じていたところに、心強い励ましでした。
  
 で、そんな日の締めくくりに、亜美さんが歌って下さったのは

 オリビアを聴きながら

 これはナシかなと、当初は語っていたのですが、初日の乾杯のあとなどで、出演者が聞きたがって、おねだりしたらしい。
 もちろん絶品でありました。
 嵐の夜に、星がまたたき始めた気がしました。
 

 そして、芝居のなかのオリビアとは、また違う雰囲気の別のドラマのような、
 オリビアをお聴かせ下さりました。

 今もまだ、カラダのどこかで音色が響いている気がします。

 ところでグタグダだったワタシのお話。
 どうでもいいことばっか話して、大事なことを言い残したと、後悔していることを、ここで言います。

 チラシにも書いた、20年前の、ワタシのオファー。
 亜美さん、ミュージカルやつてみませんか。

 て馬鹿な若造のお誘い。
 あの時、それにうん、いいよ、と簡単に乗らなかったのは、

 危険な香りがしたから、よ。

 と仰いました。
 よくぞ、断って頂いたと、今のワタシは、むしろ有りがたく思うのです。

 あの時のワタシには、ぜったいに亜美さんとの仕事をまとめるチカラはなかったと思うから。
 劇団も作家としても、上り調子で、今の百倍ぐらい、何かと勢いと、パワーには溢れていましたが

 きっとクオリティは、追いつかなかった。それもボロボロになったに違いない。
 
 間違いなく、それは悲しい思い出になってたんじゃなかろうか。
 そもそも、ミュージカルをどうやって創るのかさえ、知らなかったんだから。

 でも今は

 まだ至らぬ点は多数だと思うけど

 舘さまとか柳瀬兄弟とか小牧とか、どこに出しても恥ずかしくない、その道の第一人者というべき、芝居仲間を呼び集めることが出来たわけです。

 最初に稽古に来た時、亜美さんも、彼らを観て、声を聴いて、とりあえず安心してくれた。
 うん、これなら出来そうだね、と。
 
 これは劇団としても、作家演出家とても、三十年やってきた、蓄積で適うことです。
 今だから、こうして可能になった。

 すべて終わって、昨日の一日、すべてにお付き合い下さった、亜美さんの旦那様、小原礼さんと楽屋の廊下でお話ししました。

 今回は
 すべてが必然のように、結びついたんじゃないかね、

 と仰って下さいましたが、その言葉がしみじみと胸に染みます。

 小原さんはロック界では知らぬ人のいないベーシストで、加藤和彦さんが、フォークから転身し、ロックを始めて、
 ロンドンで大ブレイクし日本人として、初めてヨーロッパツアーなど、成功させた伝説的バンド。
 ミカバンドのメンバーだった方です。

 これもまたご縁。
 猿之助一座にいるときは、かつてそんなロッカーだったなんてことはみじんも感じさせず、かぶき一座のスタッフに徹していた、加藤さんですが
 こんなふうに、彼の仕事と音楽は、人と人を思わぬところで結びつけているのです。

 もう世界は音楽を必要としていない

 確かそれが、加藤さんの遺書の一節。
 それは加藤さんなりの諧謔なんだろうけど、
 この言葉が今も、多くのファンや友人たちを切なくさせているようです。

 加藤和彦が、そんなことを言うなんて。
 誰よりも音楽を愛していたはずの人なのに。

 加藤和彦にはせめて、

 この世界には、もう着たい服がなくなった

 と書いて欲しかった、という誰かの名言もある。


 実はね
 この舞台、そんな加藤さんの言葉へのワタシからのささやかな、返答でもあるのです。

 それは観てくれた人なら、分かってくれるよね。


 まあ、これは昨日の舞台で、チョロッとお話しするには、重すぎることだから、ここで書くのが適切だろうが

 とにかく言いたいことは

 あの時は、大人の亜美さんが、さりげなくかわしてくれて、ホントに良かったということ。

 人と人は、出会うべき時と場所というものがあるね、しみじみ。

 たとえば、あらしとの遭遇も、またその一つだろう。
 昨日だから、出会えた人も、出会えなかった人も、大勢いる。
 でもそれがまた、何かに必ず繋がるのだ。出会いも、出会い損ねさえ。

         
 なんだかたくさん、プレゼント頂いてます。
 どうもありがとう。

                 満五十歳の誕生日の朝

 
 


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