つぶやきみたいなもの
また厚木公演が終わった。
厚木というのは、我々の原点だからな。ここで演劇と出会い、岡森や六角と今につながるチームを組んだ。
何かやるたびにいろいろと物思う。
オレら、やっかいなものにハマっちゃったなあ、という思いと
ここまでやって、とりあえず天晴れとだよなあという感慨と。
だってどんな仕事も10年やりゃ、とりあえずそこそこだと思うのよ。
それを、うちら劇団32年やってんだ。
オレたちの同級生たちが息子や、娘さんを連れて扉座見に来る。
親子二代観劇だ。
関容子さんと歌舞伎トークしてて、同じ演目を、三代の役者で見続ける楽しみとか
とにかくずーっと続いてるから、見る側もじいちゃんばあちゃんから、その子、孫へと、見た体験、記憶が蓄積されてひと財産になっていく楽しみとか
歌舞伎は良いよね的な会話があったけど
我が劇団にも二代の楽しみが生まれてる
みたいなことはもう驚くばかり。
まあ、やってるこちら側に2代目の登場がまだないのが、不足だがね。
しかし、厚木で教えたアカデミーの子たちのなかに、本格的に女優目指したりする子が現れるのも、時間の問題だろう。
実際、事務所に入ってタレント活動始めたなんて子も現れてるし。
教え子が、扉座に来る日も来るかも。
このところ、そろそろ劇団最終章ですよ、とか。
旅先でも、今見とかないと、いつまでも劇団なんてありませんよ、
とかの発言をすることが多いので、
劇団員が、解散するんすか、と質問してくる。
もちろん、いつかする。
まだそれがいつかは分からんが。
確実にその時は近づいている、と答える。
ここまで来て、わしが芝居とおさらばするのは、死ぬ時だろうと思うけど
劇団はそれじゃイカン。いつか終わらせないと。
こんなこというと、ショックなのは分かるがね。
考えておくれ。
長く続く劇団は基本的に、何人か演出家がいたり、いろんな作家の作品をやってるんだ。
青年座も、文学座も。
しかしうちは、基本、私の作品を私が演出し、しかも会社経営までやってる。
経済的な責任を負うのも私ひとり。
もちろんスタッフに支えられ、団員の頑張りと、大勢の方の協力の下、成り立つ物であるが。
そんな個人劇団が今まで、赤字や借金はあれど、大チョンボなく、ここまでこれたのは奇跡というものだよ。
もし明日、オレになんかあって、もしくは事故でも起きて。一公演でも飛んだら、それで一巻の終わりである。
しかしそういうカットアウトは、人様に迷惑がかかるからねえ。
キモチの問題でなく社会的責任とか、リアルに、考えなきゃいけない頃合いなのだ。
だから公言する。
劇団は、今、見ておいて欲しいと。
我々は今ここにあって燦然と輝くが、明日には跡形もなく消える演劇というものにハマってしまった。
永遠なんてないんだ。
ましてこんな儚いものに。
だから今この時、ひとつひとつ、全身全霊をかけてやってる。
厚木での公演は、イベントも含めてとても楽しかった。
そして久しぶりの紀伊國屋ホール公演。
紀伊國屋ホールも、かなり古びてきている。
これだって、一企業の小屋である。
きっと永遠じゃない。
ずっとずっと続いて欲しいと思うけど、
たぶんそんなことはないんだ。
だから、噛みしめて公演する。
見に来てくれ。
