今日も稽古 明日も稽古

 扉座が、好きなように芝居を創って、お客さんに観てもらう。
 それが平和の持続だと、勝手に信じて、時代の区切りもいつものように活動しています。

 ちなみに30年前、昭和の終わりの日、私は当時下北沢にひとり暮らしをしていて、スズナリで知り合いの舞台を観ていました。昭和天皇、崩御の日ですから、公演はどうしてるのかな?と思って行ってみたら、フツーにやっていたので、フツーに観たのでした。

 そこからずーっと変わらずに今も稽古場や劇場にいられることに感謝にします。

 天皇制については、若い頃からいろいろと考えは変わってきましたが、今は、我々が選ぶ政権を信じることが出来ないので、よく分からない象徴と言う存在が、政治的権力とは少しずれたところにあり続けることが、案外、良いのではないかと感じています。
 現政権に最も効果的な牽制球を投げているのも、天皇だと私は感じています。

 もちろん、それが合体して戦争に邁進した時、制御不能になったという最悪の例が最も近い戦争の歴史に刻まれている訳で、油断はしてはならないのですが、
 そこはしっかり見張り、見守れば、そう簡単に同じ過ちは繰り返さない、それほど我々もバカじゃない、と信じたいです。
 その為にも、我々が芝居をやり続けようと思います。

 扉座が、芝居を出来なくなった時が、心配の時です。

 この4月いろいろと新たなこともスタートさせて、始めた以上はもう後戻りも出来なくて、劇団再起動の年となっています。
 改元はまったく意識してなくて、たまたまなのですが、何か区切りを付けて行く、区切りで変わってゆく、というのは、何故かしっくりくるものがあります。
 お正月的と言うか。

 結局同じように、また日常が繰り返されて、何も変わってないと感じたりするのでしょうけど、こうしてそこそこ長く生きてみると、
 その循環こそが、人生なのだろうなと思います。
 そういう巡りを感じさせてくれるのが元号なのかな。

 我々にとって、別に昭和スタイル、平成モデルとかもなく、実はすべてが継続の途中経過なんだけど、
 新たな仕事に向かう時、まず机を片付けました、みたいな。
 そんな心の区切りを感じて、過ぎたことは悔やまず、今は未来に向かう気分に浸ろうと思います。
 絶賛稽古進行中なので、リアルにはどこもゼンゼン片付いちゃいないんだけど。
 気分だけはね。

 そういう意味で退位は、良いね。
 昭和の時の、天皇崩御からの、新天皇即位は、悲しめ!という過剰な報道の洪水と同時に、新しい時代になるぞ!という煽りも同時にあって。
 なんだか、受け止め方が分からなかったもの。
 
 今は、サア、やるよ、で完結出来て、気分が良い。

 どうぞ皆さん、良い休日を。連休が明けたら、
 百鬼丸です!
 
 

  

 
 
 

 

 

 
 
 
 
 

 








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