のり平先生が言っていた
稽古観ながら、雑念が湧く。
集中してないじゃん。なんだけど、
私の場合、普通に他所の舞台観てても、ほぼ雑念と向き合っているので、それが正しい状態だと言える。
そして、それがエロとか、食い物のこととか、野生の脳の雑念ではないなら、むしろ良い状態である。酷い稽古と向き合う時は、気になって気になって、もはや雑念どころでなくなるのである。
故・三木のり平さんが、言ってた。
お前ねえ、眠れるなんてのは良い芝居だよ。酷い芝居じゃ寝てられないから。
それはともかく
昨日は、何故か、自分の芝居を観つつ、心の中で感想文を書いていた。それも、素朴な感想じゃなくて、ちょっと良いこと書いてやろう的な、コンクール用感想だ。
人は命は地球より重いと言います。
しかし、そのことを実感することが現代では希薄になりがちです。
だからこそ、こういうお芝居を観て、それを感じることが大切だと思いました。
自分で作った芝居を観つつ、自分が小学生になって
宿題の、今日見た舞台の感想文を書いている。
正直、自分でも自分のしていることの意味が分からない。
でも、自然に雑念に入り、そんなこと考えたわけで
酷い芝居じゃ、そんな平和なモードにゃ入らないだろうから、とりあえず、今のところ稽古は順調です。
三木さんはこんなことも言っていた。
25年前、とある稽古場で、窓ガラス越しに、子供が覗き見していた。
それを見て
子供が観てる芝居は、良い芝居だよ。
今の稽古場、覗き見できる窓がないのが残念だ……
でも扉座の公演は、厚木の子供たちがずーっと見続けてくれている。
かなりエロいこともグロいことも、大人たちに混じって。
時々心配になるけど、我らにとって大事な人たち。
彼らに面白がられなくなったら、辞める時だ。