来年以降の議論のために
こないだ六角と、久しぶりにゆっくり話す機会があったのだが、結局、三分の二ぐらいはパチンコの話になってしまった。
やたら多忙となったスケジュールをかいくぐり、彼も未だ、玉弾きに精を出している。
そのパチンコだが、自民党が換金の手数料をとって、税金にしようと検討しているらしい。
この換金については、前々から、私も矛盾だらけだよと思っている。
パチンコ屋はあくまでも景品と交換してて、それを客が勝手に金に換えてくれる場所に持って行ってるだけで、よってパチンコ、パチスロは遊戯だと言い張ってるんだがね。
ちなみにその景品は、地金ということになっている。
なんかプラスチックの小箱に、金箔のようなのが、一応入ってるけど、
たぶん、田中貴金属とかに持って行っても、買い取ってはくれないと思う。そういうもの。
で換金所は基本、店の外にある。多くの場合少し離れたところにある。
知らぬ店で、換金所の在処を店員に尋ねると
皆さん、お店を出て向かいの路地に入って行かれているようです。
などとコレはかなりマジで、店員の娘とかがトボケつつ呟いてくれる。
うちはその件には関係ない、そぶりなのであるが。
のようです、って。
変な芝居、ご苦労様である。
そろそろ馬鹿なごまかしはやめて
パチンコ、パチスロはギャンブルだと認めるべきだと思っている。
だって、遊戯じゃねーだろーよ、遊戯であんなに痛い目遭ってたまるかよ。
どこの大人が、ゲーセンの、太鼓の達人 とかに、稼ぎ飲まれて生活破綻すんだよ。
博打だろうーがよ。
牙狼の金色 なんか初当たり引くまでに、二、三万、淡雪より容易く溶けて消えてゆくんだぜ。
だとすれば
私はいっそカジノも堂々と開くのが、むしろ健全だと思っている。
なんと六角はカジノの反対論者で、朝日新聞の天声人語にその意見が載ったりして、とんでもない裏切り者なのであるが。
ロケとかで、カジノのある国に行くと、共演者たちが真顔で心配するほど、寝ずの勝負にハマるくせに。
本人曰く、私のような人間には危険すぎるのです、という話らしいが。
しかし、すでにパチンコ、パチスロだって充分にリスキーなギャンブルなのだ。
てか、人間が複数人いてサイコロ一個有れば、いやいや、そんなものなくても裏表の出る平たい石ころ一個でもあれば
そこに博打は生まれ、リスクは生まれる。
どうせ、ヤル奴はやるんだから、御上が口出しする必要はない、というのが私の意見。
どの道、地獄に行く奴は行く。
博打も酒も女も、な。
だからわしら、芝居書きなんて商売が成り立ってるんです。
やったらアカンということを、やってまう人たち。
近松も、南北も、古今東西、ドラマ作家は、そういうダメな人々をネタにしてきたんだ。
心から、愛しつつね。
とはいえ、
やはり地下に潜るとさまざま危険が生じるもんだ。良い人たちばかりじゃないからね、イカサマも生まれるし。ヤバイ人々の飯の種にもなろうよ。
私だって、危ないところで、あんまり熱くなりたくない。安心して、燃えたい。
だから賭場が、清潔でクリアなのはとても望ましいと思っている。
ラスベガスのカジノは、そりゃキレイで安全だったもの。飲み物なんか基本無料で、バニーのオネーサンが笑顔でくれるんだぜ。
もちろん、それ以上に金使うから、優しくしてくれるんだけど。
うちの御上も
もしもパチンコ、パチスロに税金掛けたいなら、博打を博打ときちんと認め、博打のなんたるかを誤魔化さずにしっかり考え、定義して
その上でパチンコ、パチスロ以外の博打も、解放してゆくべきだ。
じゃなきゃ、手数料なんか払わないよ、私は断固として。
美味しいとこだけ、持って行こうという魂胆が汚すぎるぜ。
人が死にものぐるいで勝ち取った、勝ち分を何だと思っていやがるんだ。
此処に手を突っ込んでくるなら、お前らもそれなりの覚悟を決めろと声を大にして私はいいたい。
ラスベガスに行ったとき、モニターが数十個並んだ大きな部屋があり、
野球とかバスケとか、全放送を網羅しているんだけど
実は、その試合のすべてに、賭けられるようになっているというシステムなのであった。
つまり人は何にでも賭けるんだ。
実は甲子園や、大相撲も、一部でその対象となっているのは公然の秘密だ。
やるならちゃんと筋を通して、やってくれ。
この件については、勝手にこれからも意見を述べさせて頂く。
18の浪人時代から、ずっとやり続けたパチンコである。今も御茶ノ水駅を降りると、駅前にあったパチンコ・ポニーを懐かしく思い出す。
駿台時代だよ。あの頃は、まだフィーバーもなく、羽モノの時代だけどね。
演劇は15からだから、私の人生において、芝居の次に、しっかりと続けてきたことだ。
黙っていられません。
では皆様、良いお年を。