未来への希望
オッサンは歳を重ねることを嘆くばかりの正月である。
「正月や 冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
かの一休さんの言葉と伝えられる。正月にドクロを乗せた杖をついて、謡って回ったと。
ひねくれ者めが。
でも、年々、この言葉が胸に沁みてくる。
いろんな事情で正月を祝えない人だって大勢いるわけで、年の区切りが、しみじみと死を思う、メメント・モリってやつとなる場合だってあるんだ。
複眼の思想というか、平らな見方だけでは気付かぬ、ことがあるんだね。
でもその一方で生まれ来る命や、育ってゆくチカラもあるワケで。それはひたすら、めでたきことだ。
この年末は、そういう希望をたくさん観た。
妖怪ウォッチで、敬愛してやまぬ振り付け師にして今やかけがえなき我が同志、盟友である・ラッキィ池田先生は大忙しだったけど、その舞台のあれこれに、えり奥様とともに育成してくれている、厚木舞台アカデミーの子供たちとか横浜のマグカルの生徒たちとか、教え子たちを大勢連れ出し踊らせてくれた。
レコード大賞の舞台には、な、な、なんと厚木の子供たち十数人、妖怪体操ダンサーズとして採用ですよ。レコード大賞だよ。
厚木の子たち、皆、元気に踊っておりました。
かと思えば、同じレコード大賞の新人賞で、大原櫻子さんという若いお嬢さんが、凄い歌声を聞かせてたけど、
この人は、古い芝居仲間のひとりである、林田尚親さんの娘さんなのである。
『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』という作品を初演した時、目に見えぬ剣を作る、芸人の役で客演してくれた。
その後ナレーションで有名になり、今は、報道ステーションの声なんかやってる人なんだが、実の娘さんがこんなことになっている。これがまた、小さな身体に大きなパワーのつまった素晴らしいアーティストである。
その林田氏と同じ頃、劇団に新人として在籍し『新羅生門』なんかに出ていた菅原美和さんは、その後故郷の仙台に帰りタレントとして活躍していたんだが、
彼女のお嬢さんがAKB48に入って、NHKの東北復興番組のパーソナリティーを務めている、岩田 華怜(いわた かれん)ちゃんである。最近は劇団公演なんか見に来てくれて、感想をセッセとブログにあげてくれて、AKBファンの間に扉座の名を広めてくれている。
AKB48といえば神奈川青少年センターでやった『ドリル魂 横浜現場篇』に出てくれた、渡辺麻友さんは、あの時まだ中学生だった。終演が9時過ぎると、まゆゆと、らぶたん(多田 愛佳さん、現HKT48)がカーテンコールに出られなくなるからと、皆で必死に巻いて、9時前に間に合わせたものよ。
楽日が終わって、パーティなんかやってる時、終わりたくない、別れたくないと、渡り廊下走り隊 の子たちみんなで、号泣してくれたものだ。
皆の活躍を心から願うと、我々誰もが心底思ったものだった。
そんな子が今や国民的スターであり、紅白の真ん中に堂々と立っている。
その紅白でまたまたラッキイさんの勇姿を観たワケだけど、ドリーム5という若い子たちのグループが、妖怪ウォッチコーナーに出ている。
この中の、日々美思(ひびみこと)ちゃんも、厚木舞台アカデミー出身者である。
すぐに東京の事務所に入っちゃったから在籍はごく短い間だったけど
ミコトちゃんは、その前に厚木で作った市民劇『リバーソング』の、榊原郁恵さんの登場シーンで、相模川に向かって夢を叫ぶ、少女たちのひとりを演じていた。
アイドルになりたーい、と叫んでいた。
郁恵さん扮する近所のオバサンに、私の知り合いだってなれたんだから、なんて励まされる小学生だった。
その子が、今、本当にアイドルとして紅白歌合戦の舞台に立っていた。
私の子供の頃は、レコード大賞とか、紅白歌合戦とか、それはそれは遠い遠い世界の出来事だったものだよ。
でも今回は、教え子や知り合いの活躍を確認するような、場になっていた。
教え子ったって、たいして教えたワケじゃなく、ちょっとしたご縁が有ったりしただけで、皆さん、それぞれのチカラで見事に輝いているんだけど。
それでも私の仕事や、交遊や、長く続けてきた活動が、こうして今の数々の輝きに、わずかでも繋がっているのだと思うことは、とても愉快である。
我々が歳くってく意味も、たぶんそこにあるのだと知る。
愛おしき一里塚。
そしてこの元旦も実は、私の舞台は幕を開けます。
『奇想天外歌舞音曲劇 げんない』
秋田角館のわらび劇場 にて、大千秋楽へのカウントダウン・ラスト3。
この3日は、わらび座の人々総出で、お祭り公演にしてくれているらしい。
すっかり静かな東京から、大盛り上がりを、祈ります。
賀正