皆様、お元気で、良いことがありますように。
早いもので、また歳が替わります。
去年は、愛媛で年越しでしたが、今年は東京にいます。ついこないだみたいな気がするんですけどね。
秋田・角館では三が日、『げんない』のラスト公演が有って約500ステージの大千秋楽を迎えますが、こちらもつい先日、角館に行って来たばかりなので、今回は東京から応援というか、作品をお支え下さった皆さんに深い感謝を申し上げるつもりです。
角館と言えば、今年は、初救急車の年でありました。あれは5月、秋田での稽古と宴の後、宿舎のロビーで昏倒し、病院に救急搬送されたのでした。
秋の検査では、とりあえず問題なしとは出ましたが、
確実に、自分が老化しているのが分かります。
なのに、こんなに月日が早く過ぎていって、どうしてくれるんだという話です。
そんななか、今年ひとつ大きな決断がありました。
錦糸町の稽古場の入ってる倉庫が、いよいよ老朽化で取り壊されることになったのですが、それにともない稽古場を辞めるか、どうか。
稽古場もしっかり年取りました……
自前の稽古場がなくても、公演の時に借りれば、こと足りるのですが、研究所はもう終わりになる。
そろそろ劇団自体、活動を緩やかにしたいとは、ずっと言い続けていたことで、これはその方針転換のチャンスであったワケです。
ゆっくりと終息に向かうという。
しかしいろいろ考えているうちに時が過ぎ、(劇団員にはほとんど相談していません。聞いても答えは、決まってるから)
つまりは、私の覚悟次第であったのですが、決断すべき夏頃が執筆のピークだったりして、ズルズルとなってた。
やがて、
すみだパークスタジオ様より、暖かく、また有り難い代替部屋のご提案を頂いたりして、結局同パーク内に移転、継続することに決めました。
当然、研究所も続けます。
でもそうなれば、移転に経費もかかることなので、2、3年で辞めるワケには行きません。
思い起こせば、この4月『つか版忠臣蔵』紀伊國屋討ち入りの時、打ち上げにまでご参加下さった幻冬舎の見城徹様から、
あと10年続けてくれよ、オレに出来ることはやるからさ。
とそれは熱いメッセージを頂きました。
しかし、その時は、
いやいや今年で稽古場もなくなるんだし、そんなに長くは出来ないスよ、と心の中で呟いていたのですが、
どうやら、それが本当になってしまいそうな気配すら漂ってきました。
まあ、方針転換の決断が出来ずズルズルになっていたのには、
答えの分かってる団員たちの思いや、
見城様や、すみだパークさんのご厚情や、
安いギャラでも、情熱的に支えて下さるスタッフの方たち
何より、公演に来て下さるお客様方が、いつも楽しみにしてるよ、と掛けて下さる優しい声が耳に残っていてのことで。
そんなふうに思って貰える活動を、投げ出してはイカンという思いが、日に日に膨らんだ結果でもありましょう。
矛盾だらけで、苦労の方が多くて、心配も年々膨らむばかりで、
私にとっては、考える度に、大惨事になる前にもう辞めよう としか思えない危険な活動なんですが、振り返ってみて、では私が今まで何をやって来たのかと思えば、劇団活動というのが最も大きな柱だったというのが真実で
不惑をとっくに超えて、天命を知る歳さえ超えている私ですが
この上は、何のためだか、未だ理解できないけれど、これが私に任された天からの任務なんだと思って、劇団での作品創りと、新人育成に励んでいく所存です。
もちろん、劇団外の仕事もやります。必死に働かないと、劇団の維持も出来ないのでね。劇団やるためにも、ガンガンやらなきゃイカン。
劇団員にも働いて貰って、支えて貰わなきゃならん。
つまり、また年取るけど、今までと変わらずヤルということです。
そういう決意を致しました。
年末に、ささやかなご報告をさせて頂きました。
この一年のご厚情に深く感謝申し上げるとともに、新たな年が皆様にとって幸多き年となりますようお祈り致します。
そして、変わらぬご贔屓を、お願い奉りまする。
※そして業務連絡。
約二十年活動した扉座稽古場の閉鎖の前に、この稽古場でともに稽古した者たちで、サヨナラパーティをしたいと思います。
かつて劇団に所属していた人。
第一期から今までの研究生で、都合の付く方、
ぜひ誘い合って、来て下さい。
詳細は決まり次第、SNSなどで、流します。今や劇団からは連絡の取れない人たちも多くなっています。ぜひ拡散にチカラを貸して下さい。