じわじわと

 もう十月が終わろうとしている。
 秋になったらやろうと思っていたこともいろいろあったのに、案の定、なにもできなかった。
 
 いろんなこと棚上げにして、ともかく、書いている。
 書かない(書けない)ときは、ひたすら呆然と、虚空を眺めている。

 あと一週間で仕上げなくてはならない。
 たどり着けるだろうか。

 昨日は久しぶりに外出した。
 というか、予定に従っての外出をした。
 意味なく徘徊はしてたからな。

 打ち合わせがあって、新宿に。
 来年のことで、急いでいる決めごとがある。

 赤星にも久しぶりに会う。
 赤星にも、今まであまり細かい情報は入れていなかった。

 はっきり言って、出演者たちも、
 どんな芝居なのか、よく知らない。

 まあ、つい最近まで、私本人が、それでコレは、どんな芝居なんだ?と自問自答していたのだから、
 当然といえば当然であるが。

 さすがに、ここんとこは、たぶん、こういうことなんだろうナと、私もわかりかけて来た。

 書き上げてみないと、実のところはどうなのか、はっきりしたことは言えないけれど。

 で今、そこら辺の佳境部分を迎えつつある。
 自分で、自分が書いてきたことの意味を、思い知る時、が。

 にしても、そんな状態で 前売りなんかしているので、
 これでいいのだろうかと不安になる。

 もっとも、こんだけ情報がなくて、俳優も売り込みもできないだろうし、
 さぞ、お客様はシラケておられることだろうと、心配していた。

 で、あんまり寂しいことは聞きたくないなあと思いつつ、
 打ち合わせ帰りに、おそるおそる赤星に状況を聞いたら、

 そんなに悪くありませんよ、と。

 やっぱり新作を待ってくれてるお客さんがいるんですよ、と。
 
 確かに、フツーの新作は、二年ぶりだものな。
 去年は、思いっきり、ドリル魂だったし。
 その後は、オムニバスだった。

 気がつくと、深まる秋の、ただでさえもの悲しい新宿の黄昏を、オッサン二人で歩きつつ、

 ちょっと泣きそうになった。

 赤星もうまく言ったと、思ったけど。

 「待ってくれてる。」

 という言葉はしみじみと、たまりません。

 
 お買い物の青山や銀座は別として、最近は、新宿が好きです。
 あんだけ愛していた下北沢は、なんかちょっと、心が離れてしまったかな。
 この間も、駅前で芝居だけ見て、そのまま帰った。
 あの町で、私はいったいどこに行けばいいのか、分からなくなっている。
 
 やっぱり青春の町だったか。

 新宿も青春の町だったはず。
 でも、常に、私たちには何かとどかない、オッサンたちが私たちの青春を牽制しつつ、たむろっていた、怪しい町だ。

 良いオッサンも、悪いオッサンも、うようよいてな。
 
 あの町で私たちは、そういうオッサン・オバハン・そしておカマたちの重圧を感じつつ、おそるおそる私たちの青春を試していた。
 
 下北沢は、その町作りに、ちょっと俺らも関わったぞ、という確信があるけれど。
 新宿はそんな錯覚も許してくれないほど、もっと強かで、奥深かったという気がする。

 少しだけ、芝居書きの頂上が、雲の絶え間に見え隠れし始めたという、気がしてきた、今、
 そんな新宿の雑踏で、もらった言葉。

 長くやってるのも、悪くないな、と噛みしめた。

 もちろん

 待たせている、責任を深く感じながら。
 
 
 


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