テレビ神奈川
いくら何でも、お知らせが遅すぎで、知らなかったよ、と叱られそうであるが、
本日は午後、5時半過ぎから
テレビ神奈川のニュース番組に ゲスト出演させて頂き、
横浜編の 宣伝をして参りました。
関内のスタジオより、生放送で。
きっちり、虎壱制服で、やってきました。
ああ、いよいよ、始まるなあ、という感じです。
ところで、この番組のプロデューサーが、
二十数年前に、お世話になった方だったことに、とても深い ご縁を感じたのでした。
あれは、まだ 善人会議 と名乗っていた頃。
紀伊國屋ホールに、初進出することが決まった時のことです。
ほんの4日間の公演だったのですが、正直、それでも私たちにとっては、大冒険でした。
何しろその時まで、千人を超えたことがなかったのです。なのに二千以上のキャパがあって。
で、これはもう本当に、死にものぐるいで宣伝の策を練ったのですが、
当然のこと、まだマスコミにも 伝手も、コネもなく、
我々は途方に暮れていたのです。
そしたら、たまたま送った企画書を、拾い上げて下さり、
神奈川が地盤の若者たちなら、
ということで
テレビ神奈川が救いの手を差しのべてくれ、
お昼の情報番組に、
私を出演させ下さったのでした。
まあ、ぶっちゃけ、それを見て、お客さんが来た、なんてことはほぼなかっただろうとは思うのですが、
それでも、初めてテレビで、
自分の劇団が紹介された瞬間であり、
自分たちにも、こうして応援してくれる マスコミがあるのだ、ということが、
とても大きな、励ましになったのでした。
そういうことが、何もない若者には、大きなエネルギー源になるんです。
だから、私もそのことは、忘れていなかったのですが、
今日、プロデューサーに、ご挨拶させて頂いた時、あの時のお昼の番組を、担当なさっていた方だと、知り、
それはもうしみじみと、
温かいモノが、胸に溢れてきたのでした。
本当に あの時は お世話になりました。
心から、そう申し上げました。
来月から一ト月、稽古から本番まで、我々は横浜現場で、活動することになるのですが、
これはすばらしい、ルーツとの再会なのだな、と思います。
大事に大事に、育んで、必ず、良い舞台に仕上げます。
今、扉座の研究生たちは、
ラブ×3 の公演に向けて、
あの頃の私たちのように、
何者でもない、自分たちの無力を思い知りつつ、
必死に、お客さん集めをしています。
簡単に見向いてもらえないのは、そりゃ辛いことだし、悔しい思いもたくさんするだろうけど
彼らに伝えたい。
みんなそこから、はじめるんだ。
そして、そこから、何かを つないで行くんだ。
振り返って、そういう時の出会いは、必ず一生の宝物になる。
そういう出会いが、あると信じて、道を切り開いていけ。
