北九州市文化大使
錦糸町で
ドリル魂 ブログ会見のための稽古見て、
ラブ×3 の稽古やって、
赤坂に。
夕方から、東京にいる北九州市関係者がどーっと集い、北九州市応援団 の発足式というのがあった。
ついこないだ、博多博多といっていたその舌の根も乾かぬうちに、
本日は 北九州市 の関係者と成り済ます。
まあ、本当の故郷は、北九州なんすけどね。
しかし、もっと気楽な集まりだと思ってたら、何百人かの人が集まり、
囲碁の大竹理事長がいたり、将棋の森下卓先生がいたり、シーナと鮎川誠 がいたり、175R もいたりし、
一人ずつ壇上に呼び出されて、市長から、立派な文化大使の委嘱状というのを、手渡されるという、
非常に フォーマルな式であった。
んで、
私も その文化大使になったのだった。
大使と言われても、と言う感じだけど。
何でもイイから、北九州市をピーアールせよというのが、その主な任務である。
そして帰り際に貰った、さまざまな北きゅー、アピールグッズのなかにはなんと、文化大使 という役職がきっちりと印刷された、真新しい私の名刺が入れられていた。
それもざっと二百枚ぐらいだ。
わあこりゃ、大変なことだと、
慌てて、今こうして、せめてのも大使の仕事を始めたのである。
こんなんで大使と言えるかどうか、はなはだ心許ないが。
何しろ、博多博多言ってたのが、つい先日のことで、ちょっとバツも悪いしな。
必死の速攻ピーアールである。
九州で一番は、きたきゅーチャね。
それにしても
175R の方々に会えるとは思ってなかった。
ロックバンドだけど、こんなオヤジっぽい会にも参加して、立派な若者たちである。
国文祭の閉会式の時、
キタキュー の音楽家とかミュージシャンを巻き込めないかと言っていて、
真っ先に名が上がったのが、彼らだった。
ただ、伝手もなく、どこからアプローチしていいか分からなかったから、立ち消えになったけど、
そのとき、いろいろ曲とか聞いて、
なかなかいいじゃないか
と思っていたのだ。
それにしても、やはり皆、キタキュー出身で
特に、なかのメンバー二人が、なくなった祖母の家の近くの出身者だというのを聞いて、
たまげた。
芝居にもしたけど、
なくなった祖母の墓もある、小倉南区新導寺は、
正真正銘の田舎町である。
あそこから、そんなメジャーなロッカーが排出されるとは、誰が想像しただろうか。
でもそこまで、ご縁があるとなると、嬉しくなって
ドリル魂 の招待状をきっちりお渡しし、
ガチで、いつかコラボしましょう。
とダイゴのように言っておいたぜ。
まあこういうこと実現させて、また何か、町おこし祭りでも仕掛けよう。
我が祖母の、眠るカルスト台地方面で ぜひ。
にしても、二百の名刺である。
とりあえず、早期完配布を目指して、配り歩くぜ。
欲しい方は、申し出て下さい。
