桐朋〜多摩〜町田とか
今日は、北九州文化大使仲間の、演出家ペーター・ゲスナー君に依頼されて、桐朋学園の演劇科の特別授業をやってきた。
ゲスナー君、なんて気安く呼ぶのは、この人はずっと遙か年上の人だと、思っていたのが、実は1個下と分かって、突然態度を変えたのだ。
元東ドイツの人だったのが、ベルリンの壁が消えて、なぜか、北九州の人になったという、不思議な経歴を持つ、演劇人である。
ベルリンの壁の崩壊を体験してきた人は、貫禄が違う。
私はずっと大ベテランだと思っていたのよ。
授業は中味は、さておき、
その後、多摩境というところに、京王線つながりで向かった。
パーカッショニストの故佐藤一憲氏のお墓参りに行った。
間もなく再演する『百鬼丸』は、
演者による打楽器の生演奏が、大きな見せ場なのだが、
五年前に、このシーンを作ってくれたのが、佐藤さんだった。
V6の『SAY YOU KIDS』の打楽器指導で出会って、そのすばらしさに感激し、『百鬼丸』にも参加を要請したのである。
その『百鬼丸』を五年ぶりにやりますと、ご報告したかった。
んで、
ふと思い立ち、多摩堤の隣駅
橋本から、
町田経由で、新宿方面に帰ることにした。
地図的には、西の方をぐるっと回る電車旅になるが。
町田に行きたかったのである。
ここで最近話題にした、あの、思い出のジャズ喫茶店『NOISE』のある町である。
もうなくなっていると思ってたら、
岡森ブログに、町田のジェルナの中にジャズ喫茶『NOISE』は、ちゃんと生き残っている、と写真入りで報告されていた。
それを見てから、
どうしても行きたくなっていた。
岡森君を呼び出して、与太話でもしようかとも思ったけど、昨夜、すみだパークで会ったばかりだったので、
一人で行った。
たしかに、あった。
あの頃のように、ノートを広げ。
今抱えている、作品の構想など、考えてみた。
すっかり疲れて、考えはまったくまとまらなかったけど、
久々の思い出の空間でひたすら、感慨深かった。
町田の町はすっかり変わっている。
私がまだチュー坊で、北九州から中央林間に引っ越してきた頃は、小田急町田と国鉄・原町田駅は、アメ横をセコクしたような、すげー狭くて雑然とした商店街の道でつながっていたものよ。
でも
15の時、お年玉を貯めて買った、生涯初のマイギター(モーリス持てば、スーパースターも夢じゃないのモーリス製カントリーギター)を買った
駅前の鈴木楽器はまだ健在で、それらしいギターもぶら下がっていた。
ここでもちょっとタイムスリップ。
ついでに中学の同級生とでもハチ合わせすれば、面白かったのに。
町で会っても、分からないか……
明日は
劇作家協会の日。
