座って座ってジイさん
今日から、いよいよ『百鬼丸』の稽古突入で、例によってバスで稽古場に向かったワケであるが
そのバスの中で、不思議なジイさんと遭遇した。
名付けて
《座って座ってジイさん》
そのジイさんは、入り口付近の優先席に座っていた。
で、乗ってくる人、乗ってくる人に、
とにかく座席を勧めるのであった。
ほら、あそこ空いてるから、座って座って。
早く、奧に進んで、座って座って。
ああもう、座るの、座るの。
このバスは、そんなに混み混みではなくて、確かに座席はチラホラ空いてはいた。
でも、乗客の中には、好きで立っていたい人も、いるわけで、
それぞれにいろんな立場や事情があろう。
昔、『巨人の星』で描写されていた多摩川グラウンドに向かう二軍選手たちのように、揺れるバスの中でずっとつま先立ちし、脚筋を鍛えようとしている人とか。
でも、
座って座ってジイさんは、そんなことはお構いなしに
とにかく空席をなくすことに命を燃やしていたのだった。
ほら、あんた、空いてるんだから、座って座って。
その言い方には、有無を言わさぬ力がこもり、うかつに断ったりすると、頭ごなしに、ワシ、雷落とすよ、モウ!みたいな緊急事態のトーンであった。
で、
乗客たちは、危険な気配を察知して、何となくや、しぶしぶも含めて、ほぼ指示通りに、空席を埋めていったのだった。
その様子を見届けると、ジイさんは、ヤレヤレと一息ついて肩などすくめ、
「まったくもう」なんてため息をつき、その後、苦笑なんかするのだった。
「しょうがない人たちだなあ」
みたいな感じで。
なにゆえに
座れ座れ なのかはまったく理解できない。
けれど。とりあえずおおむねの乗客を着席させたことに、ジイさんは、かなりの達成感を感じている様子であった。
そして、文京区役所前で、
いかにも、一仕事したと、いう風情で
「どっこらせ」なんてハッキリと声に出して、やがて
下車していった。
その後、残された乗客のほぼ全員の頭の上には、
????? マークが浮かんでいた。
でも、すでにほぼ全員が座らされていて、
座った乗客たちの頭上に、
????? だけが所在なく漂っていたのだった。
折しも
百鬼夜行 の物語 『百鬼丸』の稽古初日。
このジイさん実は、四十八の魔物の一人であったのかもしれぬと、思った私であった。