竹本葵太夫
昨日は 厚木市文化会館で 葵太夫 の浄瑠璃稽古がありました。
参加者は、扉座の浄瑠璃合唱予定者と、
厚木舞台アカデミー(仮)のメンバーたち。
私、目下、厚木に、新しい市民劇団のようなものを立ち上げる計画に参加しております。
昨秋の『リバーソング』の成果を未来に繋げていこうという思いで始まったものです。
まだ正式発足ではないんですが。
んで、
今回の『百鬼丸』では、厚木公演に限り、浄瑠璃合唱部分に、そのメンバーに参加して貰おうかと考えています。
初演の時は、研究生の参加で、ボリュームを出していたのですが。
今回は旅公演に、連れて行けないので、
演出は変えなきゃいけません。
でも
特別に厚木では、多人数バージョンで、やろうという企画です。
ただ、簡単なものではありませんからね。
出演者は厳しいオーディションで、選抜します。
それはともかく
そういう意味もあり、
厚木で、最初の稽古をして頂き、そこにアカデミーも参加したのです。
大変意義深い稽古でありました。
そもそも
葵太夫のような、売れっ子が、こういう一般のワークショップみたいなことをやるのが、極めて稀なことですから。
そして
葵太夫も、お弟子さんにやるようなテンションで。
だけど
素人にも、分かりやすく、解説して、指導して下さる。
なにより
こういう古典芸能のスゴサというのは、
まず
師匠が手本を示して見せて
それを教わる側が、ひたすら真似をするという形式で
極めて、単純な仕組みなんですね。
ただし
その手本が、本物の本物ですから。
教わる方は、まず圧倒され、感心するところから、世界に一気に巻き込まれてゆくる。
理屈じゃなく、
体感するのです。
アカデミーの参加者は、もちろん浄瑠璃なんて、見たのも初めて、なんていう人が大半なんだけど
たちまち、師匠の魔術にかかり
見様見真似で、語り続け。
約2時間、アッという間に時間の過ぎる、
濃密な稽古となりました。
あとの
飲み会で、
崇史 が言ってたけど
葵太夫の、語りを聞いてると、それだけで泣けてくんですよね、と。
私も同感で
自分で書いた言葉なんだけど
こういう言い方があるのか、表現の可能性があるのかと、聞く度にハッとするのですね。
我々は、言葉というものをコミュニケーションツールとして使っていて、
現代劇はまさに、そこに重点を置いて、アレコレ模索するのですが
義太夫は
心情を真情で語るといいますかね。
現代劇の言葉というものは、チエホフ以降は、そのままを信じゃいけないということになっているんですね。
人物が発する言葉と心情は、かならずしも、一致していない。
言葉にはいつも裏があるぞ、と。
愛してる といっても、油断ならないのです。
現代劇における、言葉は。
でも
浄瑠璃的世界では
悲しいは、あくまでも悲しい で
恋しい は どこまでも 恋しい のです。
言葉のダイナミズムが生きていて、
そこにいかに、真情を込めるかが勝負となるわけです。
言葉が、優位で、確かで、信じられるものなんだね。
で、
その言葉の力を最大限に引き出そうと、してきた長い歴史の叡智が、芸の中にギューっと込められている。
昨日もまさに、
それを実感致しました。
崇史がしばらく舞台を休んでいたりして、
五年も開いてしまいましたが、
この作品は、もっと頻繁に上演すべきものだったなあと、
思います。
そんな思いを込めて、
明日からの稽古に挑みます。