追悼 中島梓さん

 また恩人を失った。

 今年は、どうなってるんだ。
 大切な人が、消えていく。

 小説家・栗本薫の良い読者ではなかったけれど
 評論家・中島梓さんのはいろいろ読んでた。

 何よりも、梓さんは、私のメジャーデビュー作『きらら浮世伝』を、活字で誉めてくれて、若かった私に、自信というものを授けてくれた方だった。

 もともと芝居好きで、ご自身も劇作や演出をなさっていた。
 で、人を介して、ご紹介を受けてからは、劇場などでよく、はち合わせしたりして、そこから居酒屋に流れ、アレコレとお話などさせて頂いたものである。

 近年体調を崩されていたのは、何となく知っていたけど、病魔は、この活字の巨人を、こんなに早く、あちら側へ連れ去ってしまった。

 折しも本日
 今年から、座・高円寺に移転した劇作家協会、戯曲セミナーの本年度の開講の日。

 第一回目のオリエンテーションと、
 その後、劇場内カフェ アンリ・ファーブル での乾杯と。
 劇作家たちの新しい拠点となるはずの劇場で、劇作家を目指す大勢の人たちと杯を重ねつつ、芝居を語り合う、その贅沢。

 そもそも演劇人がこうして一堂に会することが、なかった長い我が国の現代演劇の歴史でも、
 いつか伝説として語られるはずの、新しい船出の日であった。

 そんな日の、帰り道。
 電車の中のニュースで

 その訃報を知る。

 その当時、当代一であった人気作家に、活字で誉めて貰った、その喜び。
 それは、今も忘れられない、感激の瞬間だった。

 もしかしたら、これで演劇界から追放されるかもしれない。
 大袈裟だけど、それぐらい思い詰めて、挑んだ、青二才の私には、分不相応の大仕事だった。

 梓さんの言葉が、どれほど、その後のパワーとなったことか。
 決して良い評判ばかりではなく、というか、評論家筋からはかなり叩かれた舞台であった。

 でも
 あの中島梓 が何の縁もないのに、ただ作品だけを見て、支持してくれた。

 それだけで、その後も挫けず劇作を続ける理由が、私には出来たのだった。

 梓さん、どうもありがとう。
 一度、ちゃんと会ってお礼を言いたかったな。

 梓さんが、芝居にかけておられた情熱。
 及ばずながら、私もその一部なりとも、引き継いで、作品創りを続けていきます。


 
 
  

 
 
 


関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

アーカイブ