川のことを 〜 八ツ場ダムとか 〜

 八ツ場ダム建設中止に抗議する署名が、五万を超えたそうです。

 今回の騒動には、民主党の初動に、ミスがあったように思います。ちょっと人の感情を逆撫でしてしまった。
 でも

 私は、ダム建設は止めるべきと思います。
 たとえ、それが割高になっても、百年先、いや三十年先を見て、今、川を守るべきです。
 なるべく自然の姿で残す。そこに力と知恵を使って欲しい。災害の食い止めも、ダム以外の方法で工夫する。

 そのためにお金は使ってよろしい。

 野球だって、ドームの時代を過ぎて、今、もう一度雨風に晒されても、心地よい自然の芝の上でやろうという気運が高まっている。
 何より、それで選手生命が延びるのです。
 やはり人間は自然のなかにいるべきものなのです。

 たまたま、今、川の話をやっていて、ダム建設反対で、あちこち動いていた、近藤正臣さんと一緒に、芝居作りをしていることもありますが
 
 川は、人の命 と結びつくものです。
 時に暴れて、困るから、治水という発想は生まれるんだけど、
 以前、アゲインで訪れた、吉野川には、江戸時代に自然の石を積み上げた、堰 があり、それは、かなり立派に治水をしていたという話です。

 ついでに言えば、アゲイン の徳島公演と岡山公演は川を通じて、近藤さんと絆を結んだ、ダム建設反対派の人たちが、主催して、我々を招いてくれたのでした。

 この騒動に生活を振り回される、地元の苦しみは、理解しているつもりです。
 でも
 その方たちも最初は反対だったはずです。
 そりゃ、誰だって、ふるさとの景色が変わって行くのは嫌なものです。ましてそこが湖底に沈むと言うのですから。

 感情のもつれを、上手くほどいて、
 その原点に皆が帰ることが出来ないものかと、心を痛めます。

 川を愛する人たちは言います。
 川は生き物なのだ。と。

 一度死んだら、生き返らせることは出来ない、と。

 昨日、文化予算のことを語りましたが、
 根っこは同じだと思います。

 今、人々の本能はもう一度、自然に帰りたいと願っているのです。
 CDが売れないと言いますが、ライブには人が集まります。

 やはりそこには、生きている命の躍動がある。
 ライブに行くのは、単に音楽を聴くのではなく、人生の時間を割いて、その会場で生きるためです。

 演劇が尊いのも、それが一夜きり、一期一会の、営みであるからです。
 命を持つ者たちが、人生の持ち時間をそれぞれに持ち寄って、生きている人の言葉や動きを体感する。

 そこに、扉座の新人も、近藤正臣も必ず一緒にいる。
 そして、いろんな事情や、思いを抱えたお客さんたち。

 経済効率を考えたら、まった無駄なことだらけです。
 映像には残せても、まったく別物にしかならない、
 一度きりの時間と空間。

 そこを逃したら、もう二度と、戻らない、命あるものです。
 
 私たちは、そこに価値を見いだしています。
 だから
 川も演劇も、殺さないで欲しい。


 では
 川の話 の通し稽古に行ってきます。

 
 
 
 

  


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