あの時のこと

 工事現場マニア さんの、ご丁寧なご指摘を受けて、忘れていたことをずいぶん思い出しました。
 どうもありがとう。
 
 確かに、新羅生門 の初演の舞台も、青少年センターでやらせて貰いました。

 すずなり公演 の舞台装置を、あのセンターの大舞台に飾るという、かなり無茶なことをして。

 あと
 この公演で、有馬自由がデビューしました。

 新百合ヶ丘の廃墟みたいな、とある劇団の稽古場を借りて、稽古していたのです。大道具を皆で叩きつつ。

 そこに、京都から、有馬が上京してきて
 ちょうどその時、桃太郎の役が上手く転がってなくて

 有馬は、その4月のオーディションに合格してて、だけど京都を出るのに手間取って、他の新人より遅れて、稽古場にやってきた。

 まあ、酔狂で、お前、コレやってみい、と言うことになった。

 そしたら、有馬が、まあ、小器用に、面白可笑しくやって見せて、結局、本番でも、コレをやることになった。

 扉座、伝説でも、指折りの出世物語です。

 三千代なんか、いきなり来て、こんな大役持って行って、気に食わぬ、小ずるい男メ、わたしゃ許さんと、
 その後、しばし、有馬を目の敵にして

 打ち上げなどの度に、ビールをアタマから、ぶっかけていたものです。
 
 オラ、飲めよー、大スター!!!!

 みたいな乗りで。

 皆、若うございました。

 ちなみに、コレを書き出したのが、『きらら浮世伝』という芝居を、銀座に出来た新しい劇場だった、セゾン劇場で上演して貰った、ちょうどその最中だった。今は ル・テアトル銀座 という名になっている劇場。

 それこそ、本物の大スターがたくさん出てる芝居で、そんな仕事をやった後の、劇団での新作で

 すっげープレッシャーだったのを、今も、覚えている。

 鬼について書こうと言うことだけ、決めていて、
 タイトルも、新羅生門 とだけ決めて

 でも中味が、なかなか出来なくて
 一言で言うなら、桃太郎が、穴から出てこなかったんだな。
 羅生門の不気味な鬼だけ、がそこにいて。

 この芝居、冒頭からしばらくは、ただ床下から骨を掘り出す、かなり地味なシーンが続くんだが
 書いても書いても、その地味が永遠に続く気配で

 かなり煮詰まっていた。

 当時、下北沢の四畳半にいたんだけど、真夜中に途方に暮れて、町を徘徊したことを今もはっきり覚えている。
 飲めないから、駅前にあった、富士そばで、夜中の立ち食いうどん啜ってみたり、
 イーハトーボ なんていう深夜喫茶で、呆然としていたり、

 それが、
 ある夜、『きらら浮世伝』のプロデューサーと打ち上げチックに話してて、
 次は 鬼をやろうと思ってるみたいなことを話したら、

 やたらに、食いついてくれて。

 鬼はいいよ、横内、イケテルよぉ、鬼ほど日本人に愛されてるヤツいないからねえ

 なんて言って。

 やったら、ライトな反応だったのね。
 思えば、私は、もっと観念的な、ヘビーな鬼を追いかけていたんだな。
 

 んで、その雑談で、少し酔っぱらったのもあって、何かやたら気が楽になって、ふと、鬼で、広辞苑引いてみたら、すっげー数のことわざとかあって。

 確かに愛されてるなあと、再認識して。

 このことわざを順番に出していくようにしたら、良いんじゃないかとひらめいたのね。

 そしたら、瞬間に、何か背後に、取り憑いていた暗雲みたいなものが、ふわーと、どこかに吹き飛んで、
 日の前に光が差して来たかと思うと、突然、桃太郎がイメージの中に立ち現れてきた。

 そこから全ストーリーがアタマの中で出来あがるまで、たたぶん2時間かからなかったと思う。

 煮詰まっていた期間は、たぶん3週間ぐらいあったと思うけど。
 そこからたぶんほとんど寝ずに、一週間ぐらいで書いたと思う。

 そんな芝居が22年経って、今、ほとんど変えずに出来てるんだから、たいしたものよね、と我ながら思う。

 ちなみに
 そのプロデューサーのことは、以前、この日記にも書いた。
 2年前の3月に急死した、私や六角の大恩人である。

 そういえば たぶん命日が近い。

 せんがわ劇場に、来てくれるかな。道祖土さん。


 
 なんか たぶん ばっかだな、この文章。



  
 
 
 
 
 


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