小劇場だぜ
新羅生門 の初日であった。
ベテランの出演者については、ナンの心配もないけど、若い人たちの多い座組である。
しかも、これが晴れ舞台的な意味合いもある、役者たちが多くて、
昨日のゲネから、緊張が劇場中に満ちあふれる。
それがこっちにまで、伝染してきて、久しぶりにドキドキした初日になった。
しかも、ついこないだまで、青少年センターの大舞台で、
そこからいきなり、客席と舞台合わせても、センターの舞台にすっぽり入りそうなサイズの空間へ突入である。
さすがに
感覚が幻惑されて、こっちまで余計な力が入り、何だか、アタマがボーッとしているうちに、初日が終わった印象である。
芝居始めて10年ぐらいは、初日というとずーっとこんな感じだった。
それを超えたぐらいから、そんなに緊張もしなくなり、かなり冷静に観るようになっていたのに。
久しぶりの感覚だ。
若い役者と、何かが共鳴して、私の中で眠っている、遠い記憶の粒が、弾けたような感じ。
ペーター・ゲスナー芸術監督が、良い作品です、と言ってくれたので、まあ、良しとしよう。
今日は、岡森選手も来てくれた。
今回の上演では、敢えて、出版された台本通りに、二人の若者の名を
オカモトとヤマジにしている。
それは岡森と、六角の本名である。
もはや小劇場演劇の古典として扱われ、今回リバイバル上演している 作品の中に、この二人の名が生きている。
そんな舞台を、その本人が、見に来ている。
これもまた何か、時空がゆがんだような、不思議な感覚だった。
本人たちには言わなかったけど
実は、今、オカモトを演じている、鈴木太一クンという役者の芝居が、若い頃の岡森にちょっと似ていて、
これまた個人的には、デジャヴュを観ているような感覚でいる。
そういう芝居を求めたワケでなく、彼なりに演じているうちに、どんどん似てくるのである。
もっとも今の岡森とは、別物だから、私にしか、分からない感覚だと思うけど。
それやこれやで
個人的には、極めて稀な、タイムトラベルをさせて貰っている気分である。
せんがわ劇場のサイズ がちょうどスズナリ と同じぐらいで。
すずなり では、まほうつかいのでし の再演時に、舞台向こうに特設席を設けて、前後挟み込みをやった。
その思い出も、ふと蘇った。
あの頃を知る人がいたら、ぜひ観て欲しい。
たぶん、懐かしい未来 みたいな感じになると思う。
過去はいつも新しく、未来は懐かしい。
ブリキの自発団 のキャッチフレーズだったっけナ。