柳瀬亮輔 先生

 本日から、主人公の友人の役が、わらび座の新鋭エース・三重野葵から、柳瀬亮輔にチェンジする。

 彼との因縁は長く深い

 最初の出会いは、十数年間、うちのボイストレーナーをして頂いていた、木内康子先生の紹介で、
 それまでやってた専門学校のタップの先生をやりつつ、研究生になりたい という不思議な、立場で、扉座にやってきた。
 木内さんとは、同じ講師という立場の同僚であった。

 芝居の勉強がしたいということだった。

 それより前から、木内先生と私とは、いつかミュージカル創ろうね、と約束し合っていた。
 で、ドリル魂 の原型の実験など始めていたのだけど、
 ちょうどその頃、ガンが発症し、
 結局、ドリル魂 が誕生する前に亡くなられてしまった。

 芝居が好きで、いつも笑ってて、素晴らしい先生であり、芝居仲間であった。
 今も、ミュージカルのことを考えると、木内さんの顔が浮かぶ。

 横内さんに、創って欲しいよ、日本のミュージカル、実はぜんぜんないんだもん。全部輸入品でさ。

 何度もそう言われたものよ。

 そのミュージカル計画の中心にと、期待したのが、
 柳瀬であり、柳瀬が連れてきた、四季を退団したばかりの
小牧祥子であった。

 で実際、初期には、柳瀬が活躍し、引っ張っていた。というか、歌とかダンスのことを、ちゃんと知っている者が、他にはいなかった。

 でも、ある時、真っ当にフツーのことをただやっていては、うちがわざわざミュージカルをやる意味はない。
 もっと誰もやらない変なことを、やろうと、言い出した私が
 
 ニッカポッカに地下足袋で踊るのだ

 と方針を定めた時

 もっとストレートに本格派を目指していた、柳瀬は 求める方向が違うからと、扉座を離れ、ステップスという、ミュージカル劇団に移籍したのであった。

 それでも、研究所のタップの先生は、ずっと引き受けてくれていて、決裂したワケではなかったのだが

 それが今、こうして、秋田で出会っている。
 
 今夜あたり、木内先生が、アトムを見に来てくれたらと嬉しいなと思う。

 なんか、
 最近は、芝居が始まる暗転の時、もう消えてしまった人が、たくさん客席に来るような気がしてしまう。

昨日は

 アトムのことでラジオ番組に呼ばれて、
 治虫さんの娘さんの、手塚るみ子さんと、長くお話ししたが

 陽だまりの樹 のこととか、細かく覚えていて下さり、またまた、遠い記憶の旅に出た。

 劇中、段田安則さん演じる、万二郎がいった

 自由とは、自らを由しする、ということだ。

 というセリフが、ずっと胸に残っている、と語って下さったが

 実はそれは、亡くなられた、きらら浮世伝の演出・河合義隆さんが作った、
 青春グラフティ・坂本龍馬 のなかのセリフである。

 元ネタは何か知らない。とにかく私が知ったのは、河合さんを通してだ。
 酒を飲んでは、よくそう言っていたし。

 そして、陽だまり の演出の杉田成道さんは河合さんのアニキみたいな人で、
 幕末の若者たちが大好きだった、河合さんにふたりで捧げるつもりで、原作にはないセリフを加えたのである。

 探したけど、マンガにはないセリフなんですよ、

 と、るみ子さんも仰っていたが。

 ちょうど、父を亡くして、自分探しをしていた時だったので、その言葉が、強く響いて、と語っておられた。

 でも人の思いと言葉は、こうして連鎖して、繋がっている。

 みんな、消えてしまった。

 でも、客席の明かりが落ちて、観客たちが、幕の向こう側に目を向け始めたころ
 その人たちは、劇場にそっとやって来て、
 空いている座席に腰掛けている。

 ふと、目を横に向けると、たまに目が合い、
 優しく微笑みかけている。

 私にとって
 最近、劇場は、そんな場所になっている。


  
 

 
  

 
 
 

 


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