第?の聖地
まず、
井ノ原君、おめでとう!
ドリル魂 を見に来てくれ。これを見逃したら絶対ダメだと、手紙を出したら、わざわざ電話かけてきて、
ずっと気にしてて、ホント行きたいんですけど、その日、僕も代々木でライブなんで……残念ながら欠席させて頂きます。すみません!
って。
そんなことも知らずに、連絡してるわしは迂闊だが、
そんな乱雑な連絡にも、こうして律儀にお返事くれる好青年である。
でも、今日ニュースで、年齢見たら、31歳って。
結婚ぐらいしても当然だわな。
彼女とは、長く付き合ってたし、立派なケジメであろう。
それはともかく、いよいよ池袋現場である。
今日はスタッフが、自分たちの作業は差し置いて、変更部分のために舞台を空けてくれた。
お陰で、しっかり稽古が出来た。
あと明日のお昼、もう一回、いろいろやって。
何とか、夜には間に合う、だろう。
あとは気合いだ。
でも、何と言っても、岡森と茅野がいるってのは、
クレメンス イズ バック!
&
桑田復活!
二つの安心同時にゲット!みたいなことで、
二人が舞台をノシノシ歩いてるだけで、
何かもう大丈夫だろうという気持ちになってくる。
ベテランの力は偉大である。
ところで、ずっと書こうと思っていて、すっかりタイミングを失い、書きそびれていたこと。
サンシャイン劇場との因縁話。
実は、私にとって第3ぐらいの聖地といって良い場所なのである。
まず、ココで私は人生初の 歌舞伎 をしかも市川猿之助で見ている。
かれこれ三十年近く前のこと。
今年のはじめ、亡くなった北九州の祖母が、当時中央林間の我が家に遊びに来ていて、
是非、猿之助の、舞台がみたいと言い出して、お供で連れられていった。
源平布引の滝 という演目である。
芝居の中に、突然、映像が出てくるという、実験的な舞台で評判になったものだった、らしい。
この辺りのことは、猿之助さんとの対談集『夢みるちからは眠らない』に出ているので、読んでみて。
その次に、初めて芝居を書いて、まとまったお金を頂いたのが、この劇場の公演だった。
千葉真一の JAC の若手公演だった。
『七人の戦士』という大活劇である。
松竹の仕切りの仕事で、他の作家の脚本がうまくまとまらなかったのを、ピンチヒッターとして、急いで書き直して欲しいという注文であった。
当時、25、6歳ぐらいかな。
この芝居のことは『考えて夜も眠れない』に出てくるので、読んで欲しい。
どちらもロビーで売っています。
この時のギャラで、私はモジュラーステレオ(懐かしすぎるぜ)を買い、更に下北沢に、念願の一人暮らしアパートを借りたのだった。
四畳半だったけど。
劇団事務所兼であった。
あとあと、今もお世話になっている、
照明の塚本悟さんとこの仕事で出会っている。
当時、小劇場ブームの走りの頃であるが、
そういう小劇場に関わってみたいと、すでに大舞台の照明家だった塚本さんが、やらせてよ。お金はいいから……と自ら名乗り出て下さったのである。
以来、ずーっとお付き合いが続いている。
まあ、その後、いくつか、ここでの仕事はやってきている。
だから、初の聖地帰り、なんてのではないのだけど。
それでも、我が劇団で、ここに乗り込んだのは初めてである。
舞台は美浜文化ホールより狭いのに、
客席は やたらに広い。
今日改めて見て、そう思った。
でも、そんな客席が、ここ数日で急速に埋まり始めている。
なかには、大変なことになっている、わしらを応援するために、決まっていた予定をキャンセルして、駆け付けてくれるという人までいる。
有り難すぎて、もはや、お礼のいいようもない。
もう、みんな、アレコレ言わず、
ひたすら、目の前の課題に取り組んでいる。
でも、暗黙のうちに目と目で語り合っている。
凄いの、お見せしような、と。
広い客席に『ドリル魂』が届くのか。
ちょっと心配だけど、
未だかつてない、大勢のお客さんの熱気が一度に渦巻くとき、我々の ドリル魂 がどんなことになるのか。
明日には結果が出る。
どうぞ、皆さん、見届けてやって下さい。
そして願わくば、後にココが我らにとって真の聖地
一つである、と呼ばれるような、
凄いことが起きますように。
では、劇場で!