厚木から錦糸町へ そして風邪とか

 厚木舞台アカデミーの公演が無事に終わった。

 33人の子供たち、小4から中1まで。うち男子6人。
 が終わった途端、楽屋で抱き合って号泣。

 えっ、お前も泣くの、みたいなやんちゃな子や、普段、あんまり感情を露わにしない慎重派の子まで、オイオイと泣く。
 

 その光景は今、思い出しても、ぐっと胸が詰まる。今まで何度も、市民劇はやってきたし、子供たちともいろんな舞台をやってきた。

 しかし、子供だけでひとつの公演をやるというのは、初めてだった。
 ホントに出来るのか、ワタシ自身、半信半疑な部分もあったけど、スタッフの粘りもあって、きちんとしあがっていた。

 特に、田島はよくやった。
 稽古を見ていて感心したのは、とにかく冷静に、穏やかに演出してゆくこと。
 子供たちは時に暴走し、コントロール不能になることもあるのだけど
 どんな時も、声を荒げずに、静かになるのを待つ。

 ここで信頼されてないと、子供は静かにならないのだと思うけど、やがて波が引くように、シーンとなってゆく。

 この掌握力はたいしたもんだと思った。

 そして理想的。

 子供を怒鳴りつけて、芸仕込んだんじゃ、角兵衛獅子というものですものねえ。北朝鮮の見せ物とか。どんなに揃ってても、そんなもの、百害あって一利なしだものねえ。すくなくともワタシの信じる演劇の姿じゃない。


 女優やっていた時は、良いときはすっごく良いけど、一度躓くと、グダグダになってコントロール不全に陥り、自滅してしまうみたいなことがあった人なんだが
 自分がやるのでなく、演出として、人の世話を焼くとなると、これほど冷静に客観的になれるものか。
 
 とりあえず、子供の舞台ではもう、どんなところに出してもプロとしてやっていけると確約する。
 もちろん、この先は大人の役者相手にも、経験を積んで、本物の演出家になって貰う予定であるが。

 もひとつ今回、ワタシが密かにチャレンジしたのが、文化会館の小屋付きスタッフに活躍して貰うということ。
 どこの文化会館にも専門スタッフはいるのである。ただしその仕事は施設の管理がメインで、あんまり表現活動に加わることはない。
 
 今までも、厚木でなんかやる時は、扉座はスタッフをすべて東京から呼んでいた。
 一度、会館創立三十周年記念の市民劇リバーソングの時、ワタシはもっと会館のスタッフに働いて貰おうと提言したのだが、その時は契約とか手続きとかの問題で、実現しなかった。
 当時の会館スタッフからも、実際の演劇舞台に関わった経験が少ないので不安だし、心配だと率直に言われた。
 
 でも
 劇場のスタッフというのは、劇場の顔でなくては困る。と
ワタシは思っている。

 とくに、文化庁の助成金。優れた劇場、音楽堂からの創造発信事業。というものを受けてやる企画である。
 優れた劇場には、優れた、そして芝居とか音楽とかに愛情を抱いているスタッフにいて貰わなくちゃ困るじゃないか。

 実際、20年以上続けた旅公演で、全国各地の、税金をどぶに捨ててるような、ダメな文化会館の、創造の心のカケラも持たぬダメ馬鹿スタッフたちに、ひどい目に遭ってきた経験を持つ我々だからこそ、深く抱く思いである。

 それたはたぶんあらゆる表現活動に付いている人が、持っている思いだとも思う。

 経験が乏しいなら、ここで経験を積んで、ぜひ変わっていって欲しい。
 これは芸術監督としての、譲れないこだわりであった。

 で
 舞台監督だけは、扉座御用達・大山組に頼んだが
 照明音響は、会館スタッフにプランも操作もすべてやって貰った。

 厚木シアタープロジェクトがスタートして、15年ぐらいになるけど。これが初の試みである。

 スタッフも会館の仕事と同時進行で、大変だったと思う。
 演劇はまったく初体験という人もいた。


 そんななか、問題点が決してなくはないけど、誠実に取り組んでくれて、力を尽くして舞台を支え、輝かせてくれた。
 柏木さんや山本さんら、神奈川共立派遣の、会館スタッフにもワタシとしては、子供たちへと同じくらい拍手を贈りたい。


 文化施設における、こういう試みはとかく、前例がないとか、契約がうんたらとか、役場的なジャッジで不成立に終わることが多いのだけど、やれば出来る。

 その良い前例になり、全国でも先駆けになる成功例だったと思う。
 厚木文化財団は、その点も大いに誇って全国にアピールして欲しい。

 この企画で、育ったのは子供だけじゃない。私らプロの大人たちも、ボランティアで参加した市民も、得難い良い経験をさせて貰っているのである。
 それが必ず、文化会館に止まらず、厚木市の財産になる。
 
 
 普通、会館のスタッフと、公演スタッフというのは、衝突することが多いのである。創造と管理は、どうしてもぶつかるものだから。

 でも、同じ仕事をしてみれば、同じく劇場という職場で働く同志なのだと分かり合える。
 こういうことの必要性は、役場の人にはなかなか分かって貰えないことだ。

 でも、それが実は安全性を高め、コスト削減にもなり、利用者の利益にもなるはずなのだ。

 ねえ、劇場人の皆さん。そう思うでしょ。

 この活動は、10年以上続けなくちゃ意味がないし、ワタシとしてはたとえ監督を退いても、何らかのカタチで関わり続けライフワークにしたいと思っている。
 そして、ここから育った役者やスタッフたちが、何かを創り上げてゆくのを見届けたいと思う。

 イチイチ手間がかかり、心配や責任も増え 大変だとは思うけど、財団も役場も、どうか簡単に潰して下さるな、と願う。

 
 とまあ、そんなふうにやって、錦糸町に戻ると、ギュウギュウの扉座稽古場をやっと脱して、広い稽古場に移転。その素晴らしさは、ガン平ブログ等でお確かめ下れ。
 
 オリビアを聴きながら の仕上げに取りかかる。

 でも、そこで風邪をひいた。
 思えば土曜日、台風の雨に濡れ、なんかゾクゾクとしてた。緊張感で、なんとか保ててたんだろうな。

 月曜日の稽古の最中から、声も出なくなり、完全に具合がおかしくなって、ダウン。
 思えば、五月ぐらいから、まったく休んでいない。
 6月にも、新水滸伝とカッパのダブル進行で、声が出なくなったけど。またぶり返し。

 でも休んでる場合でもなく、ダマシダマシ、進行している。速攻で帰って、とにかく寝た結果

 今朝になってやっと少し楽になった。
 
 ここで オリビアを失敗したら、今までの頑張りが全部吹き飛んでしまうからな。
 何としても、やり遂げるのである。

 ま、いつもそう言って、結果、ひたすら修行のようにそういう日々が続いているのであるが
 
 あの子供たちの号泣みたいに、もの凄い奇跡の瞬間みたいなご褒美も空から降ってくるから、

 信じて続けるしかなかろうよ。

 厚木の模様については、厚木市のホームページ内に、凄く詳しいブログ形式の稽古場報告があります。
 興味のある人は覗いてみて下さい。

 役所の広報課の方々が、実にきめ細かくレポートしてくれました。これにも感謝。ゲネと本番、小劇場たった2回の公演が、こういう支えによって、ぐっと影響力を持つものになるのです。
 
 
  
 
 
 
 
 

 


 
 


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