続 ほっこり
別に反響はないが勝手に『ほっこり』を続ける。
ちなみに今は、東京公演の初日の朝。
でも考え出したら止まらなくなった。
こういう怪しげな、新しい言葉や動きに対して、最も正しいのは、ガハハと笑って、オヤジ的な世界に引きづり込んで、揉んでやることだ。
無理に適応しようとか、理解してるフリなんか絶対にしちゃいけない。
簡単な例をあげると、なんの製品か分かんないけど、可愛く健気に売りつけようとしている佐々木希に対して、スケベなこととか言い合ってガハハと笑っている、高田純次と蛭子能収が出てくる
CMの情景である。
希ちゃんが、サイテー と最後に呟くやつですね。
あのCMの制作者はよく分かってると思う。
何しろ、あれは何の製品なのか、よく分かんないから、とにかく目に入れさせて、耳に馴染ませなくちゃイカン。
たぶん携帯電話の一つなんだろうが、スマートフォンがどうのこうのと進化を競い合っている時に、明らかにそれとは別の理由で存在している一種の、変わり種製品らしく、隙間を狙うが得策の気配が漂っている。
しかも、たぶん高性能争いでは他種には太刀打ちできないから、販売のターゲットは、そんなことを求めない、中高年層なんだろう。
で、そういう世代に、新しいモノを売りつけるには、何よりも警戒心を解くことから始めなくてはイカン。
無害のモノとして、現れる必要がある。
で、敢えて、自分のとこの製品を下品な遊びや、トンチンカンな言葉で、笑いものにするところから始めている。
それで敷居を低くしているのである。
ま、それはともかく、あそこに現れるオッサンたちの対応は、頼もしく、好ましい。
オヤジ、オッサン、は常にあのように、いて欲しいと、思う。
分かった分かった、買ってやる買ってる、だからもう面倒な説明とかやめて、酌しなさい、呑みなさい。
みたいな感じ。
彼らなら、たぶん『ほっこり』だって、気持ちよく撃退してくれるだろう。
「えっ、もっこり?」
「もっこりだってよ、もっこりだってよ」
「違います、ほっこりです」
「えっえっ、もう一回言って、もう一回言って」
「ほ、っ、こ、り」
「おおおおお、もう一回言って」
「もう、ヤダ、サイテー」
高田純次と蛭子能収、佐々木希をイメージして、声に出してお読み下さい。
ね、
『ほっこり』に漂う欺瞞が、心地よく撃退されてる感じが致しませんか。
もう1個は、オバサン遍で、これは扉座の中原三千代と伴美奈子でキャスティングは充分なんだが
「ほら、ほっこりするわよ」
「あら本当だわ、ほっこりね」
「ほっこり、ほっこり」
「ほっこり、ほっこり」
オバサンルックのこしらえをした、扉座の二人をイメージしてお読み下さい。
これなんかもう、切ってお皿に載せただけ、みたいなことだけど
「ほっこり」という新しい言葉に漂う、いかがわしさが、こだわりなんか微塵もなく、考えもなしにいじりまわすような、オバサンの手垢にまみれることで、我らの日常にじわじわ収まっていく感じがしませんか。
ある一部の層が大事にしている『ほっこり』的世界を、ごく自然に台無しにしてる感じが、とても心地良いですね。
そして、言葉はみんなのものなんだ、という素朴な真実が胸を打ちます。
ウザイものは、オッサンのエロと、オバサンの無邪気な食いつきで、正しく撃退。
次の試験に出るから覚えておいて下さい。
そんなわけで今日から、座・高円寺 シリーズの開幕です。
ご来場お待ちしています。
傑作です。
と今ここで言っても、信じて貰えないだろうが。