ほっこり 情報
うちの新人に 松原海児 という男がいて、今、『こうやたかお』の裏についている。
昨日、初日の舞台を前にして楽屋で、お茶を啜っていると、今、いいすか、と近寄ってきた。
海児がこんなに正式に話しかけてくるなんて、たぶん出会い以来、初めてみたいなものだったから、何事かと思うと
『ほっこり』についてなんすが。
実は岐阜のオヤジから、メールが届きまして。
出身地岐阜にいるお父さんから来たメールを、お見せしたいというのである。
見れば、そこにはぎっしりと『ほっこり』の語源と思われる諸説が書き込まれていた。
昨日の日記にも、書き込みを頂きましたが、おおよそ似た内容で
『ほっこり』が、決して新参の言葉ではなく、由緒のある日本語だと伝えていた。
私の日記を読んで、じっとしていられなくなったらしい。
なるほど、勉強になりました。
にしても、多くの方にお手間を取らせてしまったと、反省致します。
海児くんのお父さんも、書き込みして下さった方もどうもありがとう。
『ほっこり』には『ほっこり』なりの存在理由もあるのだと、よく分かりました。
とはいえ一度、つまづいてしまった『ほっこり』との関係は、そう簡単に変わるモノではなく、
いろいろ分かっても、やっぱり、イマイチ好きになれない、気分は続いている。
もはや完全なる修復は困難と言っておく。
身内にも賛同者はいて、女優某は
お芝居見て『ほっこり』しました、とか言われるぐらいなら、『もっこり』しました、と言われたいと言っていた。
しかしである。
怪物を見詰め続けると、自身が怪物になる
と言ったのは誰だったか。
『ほっこり』をあんまり見詰め続けると、自身が『ほっこり菌』に侵される危険は増大するのであった。
そもそも気付けば、この問題に取り組みだして、わたしはすでに何度『ほっこり』を口にしてしまったか。
そこらの人より、明らかに『ほっこり』使用度は上がっているに違いない。
そして『ほっこり』に対する知識も上がってゆく。
口にする抵抗感も減ってゆく。
昨夜も初日のロビーで、お客様をお迎えしていて、
何度『ほっこり』について、語りかけられたか。
舞台とは何にも関係のないことなのに。
恐るべし『ほっこり』粘着である。
ところで初日。
とにかく客席と舞台がドーンと近くて、厚木とは違う不思議な緊張感が漂っておりました。
でももう、お客さんに見て貰うのも、三度目だから、崩れるなんてことは微塵もなく、しかと高円寺の初日を開けました。
変なセリフの間違いは何カ所かあって、幕内では大受けだったが。
「ヤバイ、マルチの広告塔」というセリフが「やばいマルチの金字塔」になったりして
広告塔より、金字塔の方が使い慣れぬ言葉のはずなのに、とっさの言い間違いって、つくづく不思議だ。
わざわざ難しく言い換えてたりして。
あと
「オレのこと認めてくれたの、ルビィさんだけだ」って、ヒデという男が昨夜言ったが、正しくは
「目をかけてくれたのは、ルビィさんだけだ」
である。
べつに認めちゃいないよ、とワシは、客席でひとり突っ込みをしていた。
さらに「あいつはガキの頃から見込みがあった」が
「生まれた時から」になってたりして
気持ちが乗ると、話が膨らむ典型的なパターンである。
生まれた時から見込みがあった、って。いったいどんな赤子だったのだろう。
もちろん、演劇において、この程度のことはすべてご愛敬、終演後の笑い話になる。
緊張して、一所懸命やって、そうなることだから。
なにしろ、言った本人が気付いてなかったりする。
でそんな笑える初日のパーティを劇場2階のカフェ「アンリ・ファーブル」で。
ここに来て、ようやく賀来さんとも、馬鹿話とかが出来る余裕が生まれてきた。
賀来さんは「細雪」から、隙間なく、というか一部同時運行でやってきて、
そのうえに、各種プロモーションも担当して貰って、息つく暇もなかったと思う。
話はしても、すべて必要なことばかりだった。
でも昨夜は、舞台で起きた、おかしなアレコレハプニングとか、あんまり必要じゃないことも言い合えて、ひたすら楽しい時間がやってきた、
11日まで楽しみましょうね、という気分になれた。
さて、
ここからしかとこの作品を煮込んでゆく。
日に日に溶け合い、出汁も滲み出て、コクとか、味わいは増してゆくはず。
間違っても、ほっこり はしないけどなっ。