成熟に対する 敬意と賞賛

 『アイ、ガット、マーマン』 をたぶん20年ぶりぐらいに観た。
 今度、松山の坊ちゃん劇場でやる『幕末ガール』の作曲と音楽監督の深沢桂子さんが、ピアノを弾きつつ監督している。
 
 25年前だという初演の舞台は、見逃してるけど、そのごく近くにはいた。
 こっちはシモキタで仲間たちと流行の小劇団を旗揚げして、ちょっと軌道に乗りつつ走り出した頃だ。
 ミヤモトというバックダンサーが、面白いことを始めたよと、親しいライターが教えてくれた。その人も、すでに他界している。

 今日の舞台、そもそも歴史的な名作だから、素晴らしいのは当然の感じ、当然が当然として今に伝わる、そのスゴサ。
 色あせない普遍がすでに描かれていたのだね。

 キャストは、それぞれに歳を重ね、たまに息は上がり、汗だくが、傍目に心配になる部分がなくもない。

 けれど、長い年月を積み重ねて、ひとつの珠を磨き続けたような、心あるビンテージ感は、たぶん今日のオリジナルメンバーの舞台にしかないだろう。
 
 25年、履き込んだ、バーガンディのコードヴァンのブーツの味出しと、靴廃人目線で言っておく。
 
 で、小さな傷とか汚れとか、クライマックスに向けて、そういう細かいことは、すっかりどーても良くなっていって、
ああ、こういうものに心から拍手を贈りたいと思った。

 と言っても、同業者なんだし、そう手放しに他人の仕事を喜んでいるのも、どーよ、と自制心も働いて、皆さんの大拍手に紛れつつ、心で大拍手をお贈りしたのであった。

 ただな
 先日、とある大きな音楽劇を見にいって、そこでは終わるなり嵐のような拍手で、どーっと観客が起ち上がった。
 もちろん、そこに文句なんかなく、劇場の幸せな光景であったのだが

 比べても仕方ないと思いつつ……

 あれで、ああなるのに、これは、なんでこうよ、と思ってしまった私がいた。
 簡単に言うと、私の胸はこっちの方が熱くなったのに、今夜の劇場がそうでもなかったのが、ちと寂しかったのだ。

 今日だって、明かりがついても拍手は鳴りやまず、出演者たちを我々は舞台に呼び戻したけど。
 この拍手は、もっともっと続いて良いぞ、今日は許すぞ、と思ったのだ、私は。

 その大きな舞台は、勢いのある若い俳優たちが躍動していて、それを観たいと願い、熱く愛する観客たちが集まっていたから、そこに一体感があるのは、当然なんだけど。

 なんちゅうか、こういう成熟に対しても、もっとリスペクトがあっていいし、客席から、お礼があってもいいぞと思うのである。
 もっと拍手をだ。

 ショーストッパー、というのが、この舞台の主人公・エセル・マーマンのまたの呼び名だ。歌や踊りが素晴らしすぎて、拍手でショウが止まってしまうような芸人。
 そんな人の話を観た後なんだから。特にさ。
 
 今日の舞台に立ち会った客は、帰りの電車とか、その後のメシの心配とか、何もかも忘れて

 いわば、人生を止めて、拍手し続けてもいいじゃないか。

 25年間の積み重ねだよ。芸人としても人間としても、そしてお互いにここまで、良く生きて、またこうして劇場にいられる。
 素晴らしい歌を聴き、楽しい時を過ごしている。
 それって何物にも代え難き宝だよ。
 我々はそのことにもっと熱狂していいと思う。

 予定調和の熱狂はとても楽しい。人気者がいて、それを応援する楽しさも、アタシはよく知ってる。
 他の人がやっても、何にも楽しくないけど、自分のアイドルがやれば、可笑しくて楽しくて、どんどん熱くなる。ライブにはそういう楽しみがある。

 でも劇場の楽しみには、もっと奥深いものもあるはずだ。
 無理にスタンディングしようとか、言ってるんじゃない。

 劇場の観客ってのは、もっと素直に心動かされて、感激して、興奮していいと思うのだ。
 そして、積み重ねられた努力の年月と、それを支えた人々に対して、しっかりと敬意が払われていい。
 舞台の人たちが、もういいです。楽屋に帰らせて下さいと言うまで、拍手を続けてあげなくちゃ。
 それが、観客の成熟というモノでもある。

 たぶん、同業者として、あんまり乗りの良くない観客であっただろう私が、こんなこというのはとっても変だけど。
 おとなしすぎるよ、我々は。

 たぶん、みんな私のように、心では感じ入ったのだろう。ああ、良かったな、と。

 けれど、そこは劇場なんだから、
 拍手は観客の仕事だよ、金出してる側なんだからなんて、馬鹿な言い訳をしちゃイカン 
 ひとは観客であることを、サボっちゃいけない。

 じゃなきゃ、続いていかないと思うのだ。こういう奇跡みたいな作品の上演が。
 
 と自分の舞台では言えないことを、敢えて言ってみた。

 ともあれ、そんなことを言いたくなるぐらい、今宵の舞台は良いモノだったということです。

 ま、他人の舞台を構ってる場合じゃないんで、明日から自分の仕事に精出します。

 何かを観て、人がどう感じるかは自由だ、なんてことは百も承知よ。アタシが言いたいのは、我々ももっと表現しようということ、劇場の中で、共に今、生きてる喜びをさ。

 それが必ず、人を国を、元気にするのだから。


 
 
  
 


関連記事

この記事のハッシュタグに関連する記事が見つかりませんでした。

アーカイブ