坊ちゃん劇場の至宝☆中山城治
帰り支度の荷造りのなかには、革ジャンがある。
来た時は、ここにも雪が降った。
今は、サクラの終わりの時期。
初日は明日だけど、こちらはそろそろ、お別れモードである。
何だか、千秋楽に向かっていくような寂しい気がしている。
出演者はここから、二百八十ステージの公演が始まるのだから、千秋楽なんて、笑止千万であろうが。
メインスタッフも、今日のゲネを見届けて、帰郷してゆく。ミッションのカウントダウン。
昨日、直前の地元記者発表があった。
そこで、伊予・卯之町の地に14歳のイネを引き取り、医者に育てた、シーボルトの弟子・二宮敬作という人物を演じている、ベテラン俳優の中山城治さんも参加していた。
で抱負など語っていたのだが、そこでご自身の出生に触れられて、イネへの思いを語っておられた。
城治さんは元・わらび座座員で、その後、フリーのミュージカル俳優として『ミス・サイゴン』などにも出演しておられた。
一時、病気に倒れて活動休止しておられたが、数年前から、坊ちゃん劇場公演で復帰され、目下、三作続けて出演中だ。
抜群の歌唱力と声量と、イタリア系アメリカ人の血をひく深みのあるハンサム顔、その顔に似合わぬ、ニッポン的な細やかな心ある演技で、ワタシは、一目見たときから、この人のフアンになった。
坊ちゃん劇場の至宝と呼んでいる。
この城さんが、実は東京・立川の出身で、太平洋戦争終結時の、米兵と日本人女性の間に生まれた、ハーフなのである。
幼くして両親と別れ、教育者の養父母に育てられたのだという。
父の顔も母の顔も知らないのだと。
大きくなって、実の父親がアメリカのどこかの片田舎に今も生きていることを知ったという。
で、途中まで会いに行ったが、直前で思いとどまり、結局会わずに帰ってきたとか。
そういうことを、実にあっけらかんと、笑いを交えて語られるのである。若い頃グレてて、お縄寸前になった話とかも、かなりシビアなヤバイ話なのに、この人が語ると、底抜けに明るく可笑しい青春グラフィテイに聞こえる。
そしてそういう、人柄が、芝居にもいつも滲み出る。
可笑しうて、やがて哀しい、最高の役者である。
そんな城治さんが、昨日、この物語は他人事じゃないんだとテレビカメラの前で、かるーく語られたのだ。
おイネは、オレだよ、と。
というか、オレの時代より更に、幕末に、混血児として生きてくのは大変だったろう。
オレも大変だったけどさ、なんて。
かるーく。
言われてみれば、素晴らしい教育者の養父を得て、人生の扉を開いていったという点など、おイネの人生と、城治さんの人生は、重なり合うところが多いのだった。
そんな城治さんが、おイネを預かり、愛を注いで希望の人生に導く、伊予の蘭方医・二宮敬作を演じているのだ。
書いた時には、そんなことは知らなかったし。狙ってもいない。城治さんの外人顔はむしろ、シーボルトにふさわしいのだがと、残念に思ったほどだ。
おイネさんは、実父シーボルトに対しての思いが、とても複雑なようだったので、今回の舞台では、その存在をぐーんと軽くするしかなかったから、城治さんではハマらなかったのだが。
しかし、二宮敬作役でよかったし、これ以上のキャスティングもなかったと思う。
偶然ではあったが、この配役は、劇場の神様が用意した、ひとつの奇跡のように思えてきた。
劇中、二宮敬作がおイネへの思いを歌うシーンがある。
死を間近にした敬作が、実父・シーボルトへの複雑な思いに苦しむイネを、慰め、抱きしめるという場面である。
その時の城治さんの芝居と歌の暖かさは、形容しがたい。
この世に生まれることの苦しさと、耐えて生き抜くことの喜び、そのどちらも、深く深く味わった人が、音楽と劇場の神様にだけはなぜかエコ贔屓され愛されて、特別に光り輝き、見る人、聞く人を幸せにして、心を温めてくれる。
そんな感じだ。
技とか才能とかもたくさん持ってる人だが、
そういうものも超越して、この舞台では、中山城治の無垢な魂が、舞台の上から客席に、大切なことを告げている。
というか、告げるはずだ。
誰よりもおイネの心を知る人が、おイネを抱く。
この城治さんを見るだけでも『幕末ガール』は、スゴイ値打ちのある舞台だと思う。
金に換えられない、素晴らしい価値。
この人が、いま、そんなに有名でもなく、愛車のハーレーのローンも、100回以上残ってる、というような状況であることに、驚き、ちょっと腹が立つ。
なんにも出来ない、見せてくれない、能なし役者が、高いギャラでお手軽なインチキしてやがんのにね。
我が国の演劇界は、芸能界は、どこに目を付けているのであろう。
初日には、文化庁長官が来るらしいけど、ここら辺のこと、長官もワシと一緒に考えて欲しいと思う。
こんな役者をしかと守り、働かせなくて、なんの文明国ですか。
今は『坊ちゃん劇場』の至宝だけど、この先、我が国の舞台芸術というか、文化芸能の世界で、宝と呼ばれなくちゃおかしい役者だ。
せめて、この『幕末ガール』が、起爆剤になってくれることを祈るばかりである。
ともあれ
この人と、この作品を創れて、良かったと思う。
演劇の神様は、たまにこんな粋なことをしてくれるんだ。