私に才能があるとすれば

 東京公演のチケットが、ちょっと少なくなってきています。ちいさな小屋なので、わりと簡単に一杯になります。どうかお早めに、ご予約下さい。
 厚木は、まだ余裕有ります。
 
 地元ゆるキャラ・あゆコロちゃんも出演する、厚木あゆコロ篇 もどうかよろしく。
 尚、スカイツリー地元キャラ、ソラカラちゃんや、オシナリ君にも、声がけはしましたが、
 彼らは多忙すぎて、難しいようです。

 オレらは、あゆコロ に肩入れします。

 それはともかく、今、つか版・忠臣蔵 をやってて、思うこと。
 先日、劇作家協会の戯曲セミナーの開講があって、世話役としてオリエンテーションをしつつ、自分の経歴なんか語らせて頂いたわけだが

 そこで、私は、つかの真似から入った、ことも語った。
 高校時代に、つかこうへいの影響をモロに受けて、そのまま熱病にかかったように書き上げた作品でコンクールに出て、
 友達にウケ、大人たちに誉められて、賞とか貰ったのが
 この道に入るキッカケになったのだと。

 まあ、話したのはそこまでだったけど、

 ひとつ肝心なことは、私には、その時、真似が上手に出来た、ということかな、と思うのである。

 高校二年生の夏休みのことだ。

 つかこうへいの真似をして、ともあれ一時間の台本が書き上げられた。
 つかこうへいの真似だけど、お客さんを笑わせたり、盛り上げたり出来た。

 これはそう簡単なことじゃないな、と思うのである。

 今回も、ワシは、つかこうへい語で、芝居を書いた。
 それは、今の私の文体とはかなり違うモノである。考え方もそうだし、会話の運びも違うし、言葉の選択も違う、と思う。

 でも、つかさんの本や芝居で実際に使われていた言葉と、私が書いた言葉と、その境目が、あんまり感じられないのではないかと、自画自賛するのである。

 私には、つかを真似る才能があった。
 
 ようやく明治座に出ていた、山本亨さんが、稽古場に本格的に来てくれるようになった。

 亨さんは、つかこうへい、がひとときの引退休養から復帰した後のレギュラーとなった人だ。
 最初はJACのアクション要員だった人が、少しずつセリフを与えられているうちに、メインキャストになった人だ。

 亨さんは、徹底的につか芝居で、鍛えられた。
 つかさんの口立てと言って、書かれた台本でなく、稽古場でいきなりつかさん本人がしゃべりだすセリフを、そのまま鵜呑みに覚えていくという稽古。

 アクセントも口調も、つかこうへい、そのまんま。
 
 ただそれをテッテ的にやることで、自分なりの役者のカタチを作っていった。

 そして最近はTPTの演出家、デビット・ルボーなんかにも重宝され、頼りにされていた。

 ルボーは、この人がそんなふうに育った役者だって、知ってたんだろうか。

 今は、とにかくオリジナルが大事とされる。
 ナンバーワンではなく、オンリーワンの時代。

 真似、模倣は悪とされることも多い。
 でも、こと芸能の場合、歌舞伎などの伝統芸能がそうであるように、徹底的にコピーし真似ることが、表現のチカラとなることも多い。

 実は、もうひとりのアキラ、岡森も、つかうさんの舞台には何度か出ている。
 しかも、かの、木村伝兵衛まで紀伊國屋ホールでやっている。
 だから、つか語は、染みついている。

 ワシと、ふたりアキラ、は歌舞伎のように、つか語でつながれるのである。
 稽古は短いが、心配なし。だってもう、集まったときから、出来てるようなものだから。

 これって、何だかスゴイことだねえと思うのは、ワシだけではあるまい。

 今、ようやく全員が揃い、改めて稽古を進めて、この舞台、なかなかスゴイことになりそうだぞと、と自分で期待が膨らんでいる。


 見逃して、後で悔やんでも遅いんだからね。


 

 

 
 


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