つかこうへい とはナニモノであったか

 かつて『週刊金曜日』の七十年代の特集記事に、つかこうへい氏のことを書いて寄稿した。

 演劇界における、つかこうへいの位置と、そのころ若者だった自分のことと、極私的観点から書き殴ったものだ。

 その原稿は、つかさんが亡くなった時、河出書房が出した、追悼ムックにも転載された。

 そして間もなく、週刊金曜日から、七十年代特集そのものとして再録して、本に収められ、出版される。

 機会が有れば、ぜひ読んで頂きたい。
 同時代を生きた方なら、きっと共感してくれると思う。

 『私戯曲・ホテルカリフォルニア』にも描いた、あの頃の若者の屈託と、熱血的アウトサイダー・つかこうへいの魂との出会いの有様だ。

 戦後民主主義にどっぶり浸かって育ち、しかし、学生運動には完全に遅れてやってきた僕たちを、まともに出迎えてくれたのは、徹底したアウトサイダーで、右にも左にもツバを飛ばしつつ、目の前の恋や情熱に執着して生きることを是として語ってくれた、つかこうへいだけだったと言うのが、テーマである。

 いうまでもなく、私にとっての永遠のアイドルだ。

 師匠と呼ぶべき人は、猿之助さんなど、他にもいるけど、アイドルは唯一無二だ。
 
 今、そのつかさんの世界をテッテ的に、追求して日々を過ごしている。
 つかこうへいを観てから、すぐにその真似をしてオリジナル作品を書き始めたから、実は、つかこうへい作品を手がけるのは初めてなのである。

 真似でも、とりあえずオリジナルだったから、完全にコピーするワケにはいかず、むしろつかから離れなくちゃイカンと自制することが多かった。
 そのために敢えて、キライになろうとした時期さえあったと思う。
 キライというか、一度否定しなきゃ、自分が前に進めなくなりそうで、辛かったのだ。

 そこらへんの感じ、創作をする人なら、分かってくれよう。
 趣味や大好きなことを、仕事にしてしまうと、必ず突き当たる、矛盾である。

 それで今回は大手を振って、真似が出来るのである。

 実は今回、原作を大幅に脚色している。
 小説と残されているテレビドラマを原作としているのだが
どう考えても、そのままではストーリーとして筋が通らないと思い、手を加えさせて頂いた。
 簡単に言えば、テレビドラマ版で松坂慶子さんが演じている役が、あまりに巨大化されすぎて、
 本来やるはずだっただろう、忠臣蔵の誕生秘話が、とても中途半端に終わっていると、感じたのだ。

 現場主義のつか作品らしいといえば、それまでだけど、松坂慶子さんに何だか、すべてが捧げられてしまったなあ、ちゅう感じ。
 ホントに、美しく魅力的だけど。この頃の、慶子さん。

 ま、扉座には、そんな大女優もいないから、直すしかないとも言える。
 でも、それで、忠臣蔵が守られると私は確信している。

 ただ、その分、セリフもたくさん創作しなきゃいけなくなった。
 けれど、これが楽しい。

 何しろ、つかこうへいのセリフが好きで、この世界にハマリ込んだのである。
 それが今回は遠慮なく、好き放題にやれるのである。
 今までガマンしてきた分を一気に吐き出しているような気分である。

 気が付けば、稽古場で、つか語の語り方を知らぬ若者たち相手に、自分が大声張り上げて、手本を示している。

 大声張り上げなきゃ、そして早口にならなきゃ、ニュアンスが出ないのが、つか語である。
 
 お陰で、声が枯れそうだ。
 でもそれも心地よい。

 そうえいば演劇に出会って三十五年、一度も役者を本気でやりたいと思ったことはないと言ってきた。

 しかし、『熱海殺人事件』の木村伝兵衛部長刑事だけは、やってみたいなあと思ったことがあったっけ。
 17歳ぐらいの時。
 その感覚も思い出した。

 でも一個上で、私と同じ時につかにかぶれた、木原実先輩(現・気象予防士)が、文化祭の有志参加で、完全コピー版を先にやってしまったから、機を逃した。

 つかファンの方には、ぜひ観て欲しい舞台です。
 そうでない方は、まあ、何なんだコレは、と呆れつつ見守って下されば。
 
 おそらく今の稽古場で、身内の若者たちにも、半ば呆れられていますから。

 でもいいんだもん。
 コレが好きなんだから。15歳の時に惚れて以来、ずっとな。


   
 
 
  
 
 
 
 
 
 


 


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