仲間たちが来て

 週が明けて、芝居仲間たちが忙しい中を駆けつけて来てくれた。

 マキノノゾミ氏とか、茅野イサム氏とか。
 思えば、ふたりとも、つかこうへいドップリチームだ。

 別につかさんが仲立ちしてくれたワケではないが、二昔前以上になる、彼らとの出会いも、つかさんの影響の下のことだったなあ、と思い起こす。

 つか観てました、で分かり合えたんだ。

 マキノさんが言ってたけど、
 あの頃は、

 平田満が「ママンが死んだ」と言うと、劇場が揺れるほど皆、笑ってた。

 確かに「太陽が眩しい」というセリフにも、私も声だして笑った記憶がある。

 ホント程度、高かったんだねえ、あの頃の小劇場文化は。
 
 今、若い劇団員に言っても、なんのことやら、以上の虚しいハテナマークしか、浮上してこんだろうぞ。
 しかしもっとも、その時、確か私はまだ「異邦人」も読んでなくて、つまるところ、周りのお兄さんお姉さんたちの雰囲気に呑まれて、笑ったのであろうと思われる。

 そんで慌てて、文庫買って読んだものよ。
 そして2度目に、熱海を観た時には、そのセリフを待ち構えて、笑った、と思う。

 劇場は高度な学校でもあった。

 「生きとし生けるものの無常必滅こそを尊び、枯淡の境地に生きる芭蕉は、親父とは真逆の、精神世界の巨人だった」

 これは「つか版・忠臣蔵」の小説に出てくる表記で、そのままセリフにして、今、宝井氏が、熱く語っているが

 こんなセリフ、当節の芝居では、大学教授役でもしゃべらんだろう。
 だが、なんかそれらしく、ゴージャスで、脳の一部を刺激される、気がせんか。

 例によってロビーに立っているが、今回は同年代のオッサンに語りかけられることが多い。
 みな、喜んでいてくれてるのがとても嬉しい。

 そんなに数は多くないが、ちゃんと来てくれてるんだな、あの頃、ぎゅーぎゅーの劇場で隣り合い、つかの言葉にかじりついていた仲間たちが。
 たぶん、それぞれに「赤色エレジー」とか「リフレインが叫んでる」とか聞きつつ、来し方を思いやっているんだろう。

 「セイリング」なんかワシ、15歳の処女作のエンディングテーマだからね。35年前のこと。
 この曲も、田中邦衛さんが出てた「ヒモの話」で初めて聞いて、先輩からタイトルを教えて貰い、友人にレコードを借りて、覚えたものよ。
 田中邦衛が、この曲バックに踊ってたんだからね。

 六本木の、まだビルになる前の、古い俳優座劇場で、私はその舞台を観ていた。
 それが人生初、六本木であった。
 なんか、冴えない田舎町みたいなとこだったと記憶してるけどね。当然バブルのはるか前のことだしな。

 だからコレ聞くだけで、ワシは泣けてくるんだ。いろんに思い出が詰まってて。

 「幕末ガール」の音楽監督・深沢桂子さんも昨日来てくれて、選曲良かった、泣いたよ、と言ってくれたけど。

 それで歳がバレる。

 でもコレ、当て込んだのは、私と音響・青木タクヘイだが
すべて、つかこうへいの舞台で流れていた曲である。
 舞台の横で、シンガーが歌うのも、つかこうへいの舞台で、観た光景の再現だ。
 あの頃の歌手は、大津あきら氏だったはず。

 舞台で役者がセリフしゃべってるのに、そこに生の弾き語りを重ねる、ってワケが分からん演出である。

 でも、それがカッコよかった。

 しかしね、思えば、歌舞伎なんか、役者の横で長唄とか、義太夫とか、ずーっと歌ってるワケで、

 コレも今の私から観たら、ああ、芸能の原点演出なんだと、深く納得するのである。

 しかも、今も歌舞伎で使われているのは、江戸時代のヒット曲だって、笑三郎先生が「歌舞伎ゼミナール」で教えてくれた。歌詞も、中味には直接関係ないけど、耳障りが良いから使うとか、そういう感覚の演出だって。

 江戸時代のユーミン、マライマックスで流してる状態だというのだ。

 まさに、つか、ではないか。

 というか、順序的には、
 つかが、歌舞伎なのである。


 もっとも、ワシがつかさんと歌舞伎が同じだと言っても、つか周辺の人たちはあんまりピンときてくれない。

 と言うのも、生前、つかさんが歌舞伎に対して、よく噛みついていたかららしい。

 つかさんが、許せなかったのが、血筋とか一家一門に拘る歌舞伎界の有りようだったようだ。

 血筋のないモノは出来んのか。やっちゃイカンのか。
 
 そこには深く憤っておられたらしい。
 だから、つかさんと歌舞伎は遠く、というか、むしろ敵チックなモノとされていた。
 
 実は決してそんなこともなく、右近さんも笑也さんも、その血筋にはない立派な歌舞伎役者なんだけどね。
 そこまではご存じなかったのだろう。

 つかさんらしい、発言ではある。
 そして、そんなつかさんが好きだ。

 頑張ってるヤツに、チャンスやらんでどうすんだ。
 皆が、大きなモノに、ひたすらすり寄る時代だから、なおさら、その言葉が優しく頼もしいよね。
 
 それはともかく、
 もし、そこらの理屈抜きにして、純粋にエンゲキ的なテクニックとして、つかさんが歌舞伎にもっと接近して、摺り合わせを試していたら、私は「つか歌舞伎」というべきものも、誕生しただろうと思う。

 前をしっかり見て、瞬きせずにしゃべれ、とつかさんは演出でよく言っていたそうだ。
 相手役をよく見て、とかじゃなく、とにかく客の方見ろ、って。
 そして、まぶたも筋肉だから、鍛えれば、ずーっと開けてられるようになるんだ、って。

 前見て語るのは、歌舞伎の鉄則だし。
 目ん玉、ひんむいて、カーッと見開くのは、見得ってカタですからね。
 歌舞伎なんだよ。

 今日はプチ、つかこうへい論でした。


 台風さん、お願いですから、こんなに頑張ってる私たちをいじめないで。

 

 

 
 

 

 

 


 

 
 
  

 
 

 
 
 


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